1歳になった娘への手紙

今日は娘の1歳の誕生日だ。私はこの手紙とも日記ともわからぬ文章を、いつか彼女に渡すつもりである。本当は手書きにしたいところだが、字の醜さが手紙の内容を損なうことは本意ではないので、データで作成する。

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この手紙を渡す頃

いつ渡そうか?18歳か、20歳か、結婚してからか?渡す時期によって手紙の内容は多分変えるべきだから、きちんと決めた方がいい。

たとえば18歳で渡したとして、私は彼女がこの手紙をどのような状況で読むことを想定しているだろう?一般的に18歳というのは親元を離れるタイミングだから、一人暮らしを始めたアパートの一室でこの文章を読むことになるだろう。20歳だったら?同じく一人暮らしをしていると考えられるから、部屋でひとりで読むのだろう。

しかし私が絶対に避けたいのは、この手紙を渡したそのタイミングで我々と彼女がまだ一緒に暮らしているという状況だ。こんなものを同じ屋根の下で住んでいる時に読まれるのは気恥ずかしいからだ。

だから、この手紙は彼女が結婚したら渡すことにしよう。

娘は何歳で結婚するだろうか?彼女は果たして結婚できるだろうか?彼女が結婚する時に、私は生きているのだろうか?わからない。結婚することが当たり前で、ある種の人間にとって幸せの代名詞となっている結婚が、果たして20年以上も先の未来でも同じ価値を持っているのだろうか?ひょっとしたらこれを読んでいる娘は、結婚しないことこそが幸せなのだと考えているかしもしれない。

どちらにせよ、今の私にできることは彼女が結婚したいと思った時に結婚できるような大人にしてあげることくらいだ。自分の望んだ何者かになるために必要な財産を与え、供に構築し、そしてその財産を守り増やしていけるようなノウハウを親として教えてあげることと、それができるようになることを祈ってあげること以外に何ができるというのだ?

誕生日おめでとう

前置きが長くなったが、本題に入ろう。

娘よ、1歳のお誕生日おめでとう。去年の3月25日、正午過ぎにお前はこの世界に生まれてきた。24日の朝方に初期陣痛がきてから、およそ32時間の長い戦いだった。お前も妻も本当によく頑張ってくれた。2人ともありがとう。私は今でもあの瞬間を思い出すと目頭が熱くなる。

お前が生まれるちょうど一年前の3月24日、私たちはN市のこじんまりしたレストランで結婚式を上げた。私は結婚式で流す音楽には特にこだわった。2人のプロフィールムービーのBGMに、私は大好きなElton JohnのTiny Dancerを選んだ。

そしてお前が生まれる前日である24日の早朝、妻から電話があって私は急いで病院へ向かった。車の中でTiny Dancerを聞きながら、一年前の結婚式を思い出し、あれからちょうど一年後にこうして子供が生まれることを感慨深く思っていた。

そもそも出産予定日は3月の17日で、お前は一週間も妻のお腹の中から出てこようとしなかった。お前の名前は生まれる前から決まっていたから、私たちは2人でよくお腹に話しかけた。「娘ちゃん、もう出てきていいんだよ」とか、「早くでておいでー」とか。

病院に到着したものの、まだまだ生まれそうにないということで私たちは一度家に帰った。散歩をしたり横になったりして陣痛のペースが早くなるのを待った。痛みが増したというので夕方頃再び病院へ行ったが、結局そのまま一睡もせずに迎えた翌日の昼過ぎにお前は生まれた。

後でわかったことだが、奇しくも3月25日はElton Johnの誕生日だった。今のお前がElton Johnをどう思っているかはわからない。お前の人生に計り知れない影響を与えたアーティストのひとりになっているかもしれないし、ただの薬漬けのゲイだと思っているかもしれない。もし後者だったらここまでの話はなかったことにしてくれ(笑)

この手紙を読む頃、娘は一体何歳になっているんだろうか?西暦204x年、携帯端末はどんな形になっているだろう?リニアはちゃんと通ったんだろうか?というか東京オリンピックは無事開催されたのだろうか?

なにせ何十年後の未来に向けて手紙を書くなんて初めてのことだから、趣旨とは別のものに興味が逸れがちだけれども、とにかくお前が健康で、幸せに生きていてくれることをただただ願うばかりだ。

この一年でお前は驚くほど成長した。本当に毎日毎日驚かされることばかりだった。

娘は生まれて数ヶ月は飯田の妻の実家で育った。4月から7月まで私が決算でほとんど家に帰れなかったからだ。T社主計室連結決算グループ。T社はこの年の決算で、国内企業として初の売上30兆円を記録した。まさにその「30兆円」と書かれたP/Lは、Black Sabbathが流れる誰もいない深夜3時のT社7階で私の手によって作られた。そんな話はどうでもいい。

娘との生活

お前がここへやってくるタイミングで、我々は引っ越した。今でもあそこに住んでいるなんてことはまずないだろうけど、娘はあそこに住んだことを覚えているだろうか?

決算も落ち着いた8月、エアコンの効いた我が家で、まだ寝返りもうてないお前を真ん中に挟んで、ベッドでくつろぐ時間がたまらなく幸せだった。

仕事から帰ると、妻はいつも「娘ちゃん天才なんだよ」と言って、その日娘がどんな成長を見せたかを話してくれた。寝返りがうてるようになったかと思えば腕の力で移動することを覚え、ハイハイのスピードも日に日に早くなり、つかまり立ちや伝い歩きをするようになった。そのたびに私たちは2人で騒いで、そんな私たちに驚いてお前が泣くこともしばしばあった。

最近のお前は柵に捕まりながらテレビを指差してごにょごにょ独り言を言ったり、言葉に反応して手を上げたり、拍手をしたりするようになった。一年前は微笑むことすらできなかった娘が、だんだん人間らしくなっていくのを見るのが何よりも楽しみな今日この頃だ。

新しい感情

私は最近、娘が生まれ育つのと同時に、私の中に新しい感情が生まれ育っているということに気がついた。

私はこれまでなんとなく意識して、失って困るものがないように生きてきた。何かを失って自分が致命的な傷を負うようなものに対しては、早めに心に防壁(ATフィールド)を張った。そのものが失われることに対する覚悟をなるべく早めに決めて、心に保険をかけた。自分が立ち直れなくなるほどの傷を負わないように。自己防衛のために。

元気だった親、姉兄も、親しい友人も、いつかは死ぬ。妻ちゃんだって、私より長生きしてくれないかもしれない。その時のために、私はずっと昔から、自分の大切な人がいなくなってしまうことをいつも覚悟して生きてきた。メメント・モリ。

でも娘が自分より先に死んでしまうことに対しては、私は覚悟ができない。こんな気持ちになったのは、多分初めてだ。お前がいなくなってしまったら、私は物凄く悲しむだろう。そこにはどのような保険も言い訳も救済も存在しない。あるのは純粋な悲しみだけだ。お前が自分より先に死んでしまうことを想像するだけで、私はその純粋な悲しみに飲み込まれてしまいそうになる。

お前が私より先に死ぬことなど、可能性としては充分にあり得ることなのに、子供を失った親が事実として世の中にたくさんいるというのに、私はそれを受け入れることができない。致命的な傷を負う可能性を持ったまま生きるなんて全然合理的じゃないのに、その可能性を受け入れることを感情が許してくれない。

だから娘よ、俺より先に死ぬな。

1歳になったお前に俺が言いたいのはそれだけだ。

娘へのお願い

生まれてきてくれてありがとう。そして健康に、俺より長生きしてくれ。これは俺が課したお前の人生の最優先事項だ。生きること、死なないこと。

そのうちお前は生きることよりも大切なものを見つけるかもしれない。想像力という知性を持つ人間において、生きることよりも大切なことというのは、確かに存在する。「何のために生きるのか」という問に答えを見いだした人間には、確かにそれは存在するのだ。

でも1歳のお前に、まだこの話は早いだろう。続きはまた気が向いたら話すことにしよう。

親になるとは、掛け替えのない幸せを手に入れる代わりに、それを失う恐怖を背負い続けるという事でもあるのだ。私は親になって初めてそのことに気がついた。

結局私の話になっているね(笑)

2歳の誕生日を健康に迎えられることを心から祈っています。

父より。

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日記
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この記事を書いた人

平成生まれのアラウンド・サーティーです。30歳を迎えるにあたって何かを変えなければという焦りからブログをはじめました。このブログを通じてこれまでの経験や学びを整理し、自己理解を深めたいと思っています。お気軽にコメントいただけますと励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。

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