付き合うとは何か?口約束?必要性は?付き合うって何?!

考察

突然ですが皆さん

付き合うって何ですか?

と聞かれたら、なんて答えます?

「ただの口約束だよ」「付き合う必要性なんてないよ」という声も聞こえてきそうです。

付き合うって何?
彼氏彼女ってそもそも何?

小中学生の頃、必死になって考えたことの一つ「付き合うって何?」「付き合うとは何か?」。この頃の思考訓練も、今の私を構成する財産であることに疑いはないので、かつての思いを綴っておこうと思います。

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【きっかけ】付き合うって何?ただの口約束?

私には小学生の頃好きな子がいた。なんと運の良いことに、その子も私のことが好きだと知った。私はお互いが好き同士である事が分かっただけで満足だった。そしてずっと好き同士でいられればいいなと思った。

でも彼女は違うみたいだった。彼女は私と「付き合う」ことを求めていた。正確に言えば、彼女は私と「付き合うべきだ」と周りから唆されていた。

私は何の必要性も感じなかったが、彼女が望むのならと思い、私は彼女に交際を申し込み(交際は申し込むものなのか?)、晴れて2人は付き合うことに。そして彼氏彼女の関係となった。

好きな子と付き合うことができたものの、私には何をどうしてよいものかもさっぱりわからず(何せ田舎の小学生だ)、特に背伸びをする必要もなかろうと、私はそのままの関係を維持するように努めた。

しかし、彼女はそれでは物足りなかったみたいだ。私は彼女にふられた。私はこの時思った。

「お前が付き合いたいって言いだしたくせに、なんで俺がふられなあかんねん!」

しかし今にして思えば振られるのは当然のことだ。私は彼女と付き合ったのに、何もしなかったのだから。

きっと彼女は私に「彼氏っぽい何か」を求めていて、自分を「彼女っぽく」扱って欲しかったんだと思う。それが私の「片付けるべき用事=JOB TO BE DONE」だったのだろう。でも、当時の私にはそれがわからなかった。そして彼女に振られた私の頭を悩ませたのは以下の問いだった。

  • なぜ好き同士というだけでは彼女は満足できないのか? 
  • なぜ彼女は付き合いたかったのか? 
  • なぜ好き同士だったら付き合うのか? 
  • 別れても好き同士だった場合、これはどういう状況なのか?

かつての私に諭すように、一つ一つ見ていこう。

【考え方】付き合うって何?必要性は?

意味をなさない質問というものがこの世には存在する。「付き合うとは何か」「男女交際とは何か」という問いもその一つだ。答えが出たところで何かが変化するわけではない。つまり付加価値を生まない質問。質問というのは、もっと状況に応じて、その時必要としている明確な答えのために存在するべきである。

前置きは長くなったが、かつての私はこの「付き合う(男女交際)」の意味について真剣に考えた。

まずはこの問いだ。

「なぜ好きな人と付き合うのだろう?」
「なんで付き合うの?」

大好きだった彼女に振られた中学一年生の私は、この問いを色んな友人に聞いて回った。私が収集した一般的な答えは下記の通り。

  • ①一緒にいたいから
  • ②他の人に取られたくないから
  • ③自分のモノだと皆に知らせたいから
  • ④ヤリたいから

どれももっともな答えに思えた。しかしこれらの答えはさらなる問いを生んだ。

「それって付き合ってなくてもできない?」
「付き合う必要性なくない?」

①「一緒にいたいから」

と答えた友人に尋ねた。付き合わなくても一緒にいることはできる。つまり、わざわざ付き合おうと口約束せずとも、一緒にいることはできるだろうというのが私の意見だった。なぜ付き合う必要性があるのか?… 答えが返ってきたことはなかった。①は除外。

②「他の人に取られたくないから」

最もな意見のように思える。彼氏彼女と公言することで、他のライバル達を牽制するのだ。つまり「この席は予約済みですよ」と札を立てておくのと同じだ。だが当時の私は納得しなかった。いつでも簡単に解消できる予約に何の意味があるのか? 牽制が意味をなさないようなタイプの人もいるのでは? そんなものを予約といえるのか? そもそもお互いへの真の理解があれば予約なんて必要ないのでは? 疑問は残るがなにがしかの効果はありそうだ。

③「自分のモノだと皆に知らせたいから」

自分の彼氏彼女がどれほど素晴らしいか皆に知らしめたい。こんな異性と交際する私を知らしめたい。ただの自己顕示欲だ。しかし厄介なのは内緒で付き合ってるとかいうパターン。時々そういう奴がいるのでこれも納得する回答ではなかった。(私は唯一絶対の、真の答えを求めていた)

④「ヤリたいから」

確かに付き合っていた方がヤリやすさはあるだろう。でも付き合ってなくてもやれる。やるために付き合う必要性はない。だから④は除外。

私は友人たちから集めた上記回答をもとに親友Yと議論を重ねた。しかし、「なぜ付き合うのか?」という問いに対する答えは見つかりそうになかった。そして我々は暫定的にこう結論付けた。

「付き合う」とは②「予約」と③「公認」のために行う。

つまり、「周囲の公認を得てライバルを牽制し、一緒にいやすい状況を作り出すために、我々は好意を寄せる異性と付き合う(交際する)のである」ということだ。

だが問題は、③でも上げた

「公認のために付き合うのであれば、非公認での交際は何のために行われるのか?」

「公認されなければ付き合ったと言えないのか?」

という問いが残ることだった。

中学生の私は唯一絶対の答えを求めていた。「なぜ好きな人と付き合うのか?」という問いに対し、古今東西老若男女を100%納得させるような自然科学的な回答を、恐ろしくピュアに求めていた。だから上記の回答に例外があれば、それはもう答えではないのだ。

【結論】どのような状態を「付き合う」というか

あーあ、結局付き合うって、
にゃんにゃんだろうにゃー(。·ω·。)

なんつって時は流れた。

話は変わるが、私は小学生の頃から日テレで土曜深夜に放送していた「恋のから騒ぎ」が大好きだった。大人のお姉様方のリアルな日常が当時の私にはたまらなく魅力的に見えた。女の子の秘密のおしゃべりを熱心に盗み聞くように、毎週欠かさず録画していた。

私が中学3年生だったある日、こんな放送回があった。ある恋からメンバーの悩みの延長で、男女の交際の始まり方についての話になった時だ。

さんま
さんま

最近の女子は付き合ってくださいって言ってくれなきゃ付き合ったことにならないの?

恋からメンバー
恋からメンバー

付き合ってって言ってくれなきゃ、いつから付き合ったのかわからないし、こっちは待ってればいいのか、他に行っていいのかわからなくないですか?

この発言に他の恋からメンバーも大きく頷いたし、私もそう思った。

さんま
さんま

へー、俺が若い頃はわざわざ付き合ってなんて言わなかったけどな。照れくさいし。漫画やドラマの影響なのかな?女子は付き合ってって言って欲しいんだぁ。

恋からメンバー
恋からメンバー

付き合ってって言わなかったら、どうやってお互いに付き合ってるってわかるんですか?

さんま
さんま

そんなもん雰囲気で大体わかるやろ。ああ俺ら付き合ってんねんなって。ですよね関根さん?

関根勤
関根勤

確かに僕らの時は付き合ってって言わなかったね。

私は、「付き合ってください」と言わずに交際が始められることなどそれまで知らなかった。昔は「付き合ってください」と言わなくても付き合うことができたんだ、と驚いた。

ではなぜ最近の女子には「付き合ってください」と言わなければわからないのか? なぜ一昔前の女子は「付き合ってください」と言わなくても付き合うことができたのか? 私はトイレで用をたしながら考えていた。

そして閃いた。

「なぜ付き合うのか」が問題なのではなく、
「どういう状態を付き合うというのか」が問題なのだ。

男女交際とは「男女が付き合うこと」であり、付き合うとは「人と交わること」である。一般的に「付き合う」は、「一緒にいること」や「一緒に行うこと」という意味で使用される。つまり特定の異性と「一緒にいること」や「一緒に行うこと」が「付き合う」状態であると言える。恋愛感情を抱く異性と「一緒にいたい」「一緒に行いたい」と思うことはごく当然の感情だ。

序盤の但し書きに戻るが、「なぜ付き合うのか?」という問は、問として意味をなさない。「なぜ付き合うのか?」は言い換えれば「なぜ好きだと一緒にいたいのか?」という問いであり、本来の「付き合う」という行為の謎を明らかにするものではないからだ。

中学生の私は「付き合うとは何か?(What?)」という問いを、知らず知らずのうちに「なぜ付き合うのか?(Why?)」という問いに変換していたのだ。そして「なぜ付き合うのか?(なぜ一緒にいるのか?)」という問いに対する回答に「それは付き合ってなくてもできる(一緒にいなくてもできる)」という破綻した反論をぶちかまして論破した気になっていたのだ。

椅子とは何か?」という問いと「なぜこれは椅子なのか?」という問いは全く種類が違う。仮に両方の質問に答えるとすれば、椅子とは「座るためのもの」であり、「なぜこれが椅子なのか?」と聞かれれば、我々は「なぜって…座れるからです……(は?笑)」と苦笑いして答えるしかない。(「座れない椅子」という物も確かに存在するが、それはまた別の機会に)


なぜ好きな人と一緒にいたいのか?(Why?)という問いと、付き合うとは何か?(What?)という問いは、明確に区別する必要がある。もっと細かい話をするならば、Why?と質問するならば、そのセンテンスに含まれるWhat?の答えはあらかじめ用意しておかなければ質問が成立しない。「なぜこれは椅子なのか?」という問いに答えるには「椅子がなんであるか?」をまず説明する必要があるからだ。中学生の私は「付き合うとは何であるか?」に答えを見つけるよりも先に「なぜ付き合うのか?」という問に思考を飛躍してしまい、論理の落とし穴にハマってしまったのである。

我々は様々なメディアの影響から知らず知らずのうちに「付き合う」というものを、「両思い」から一歩進んだ何か特別な関係と捉えがちだ。「付き合う」という言葉が一人歩きして、「付き合う」という口約束自体に何か重要な意味があると錯覚している。

例えば(私が中学生の頃よく使った思考実験として)、

地球の裏側にいるネットで知り合った異性と「付き合おう」と口約束して、翌日から2人は「付き合った」状態になるのか? 顔を見たことも声を聞いたこともない、恋愛感情すらない相手と「付き合おう」と口約束して、互いを彼氏彼女と呼ぶことはできるのか?

上の問いからもわかるように、重要なのは互いをどう呼称するのか?ではなく、お互いがどのような状態にあるのか?だ。つまり付き合うとは、

①互いに恋愛感情を認め合い
②一緒にいたり、一緒にしたりする
状態

であり、

・「付き合ってください」という申し出と
・その承認(口約束)によって発生する状態

ではない。

こんなに長々と説明するまでもなく、「付き合う」とは本来、読んで字のごとくの意味合いしか持っていないはずなのだ。ところが「付き合ってください」という謎のキラーフレーズがいつからか伝染病のように日本中に広がり、「付き合う」という言葉の意味以上の何かがその言外に生まれたことで「付き合うって何なんだっけ?」というわけのわからない質問が飛び出す世の中になってしまったのである(別に憂いているわけではない)。

付き合ってください」という申し出とその承認はあくまで、「一緒にいたり、一緒に行(おこな)ったりすること」への承認でしかない。従って、実際に「一緒にいたり、一緒に行(おこな)ったり」しなければ、2人は付き合っているとは言えない。逆に言えば、お互いが好意を寄せていることが周知の事実で、二人で一緒にいたり行ったりしているにも関わらず「俺ら付き合ってないから」と言ってしまう人々は完全に言葉のトラップにハマってしまっている。

だから私は小学生の頃、彼女と「付き合う」ことになった時、もっと彼女と「一緒にいたり、一緒に行ったり」する努力をするべきだったのだ。それこそが「付き合う」ということであり、彼女が私に求めた「片付けるべき用事=JOB TO BE DONE」だったのだ。

もはや触れるまでもないが、交際を隠しているする男女も、周囲にその認識がなかったとしても、「恋愛感情を互いに認識」していて「一緒にいたり行ったり」していれば、付き合っていることになる。

若者が一般に言うところの「付き合う」ことそのものには何の意味もない。ただ好きで一緒にいることを「付き合う」と呼ぶのだ。私が「恋から」から学んだ貴重な考え方だ。

だから私はその後、女性に「付き合ってください」とは言わなくなった。「付き合ってください」と言わなければお互いの状況を理解できないような女性とはそもそも交際したくない、というのもその理由の一つであるが、あるべき姿として「付き合ってください」と言わなくても、互いに心を通わせられるような関係でありたいと望んだからだ。そして私は自分の前世が欧米人であったと信じているからだ。

ご存じである人も多いと思うが、欧米には「付き合ってください」だの「告白」だのという文化がないデーティングと呼ばれるお試し交際期間(複数平行してデーティングすることは許容されている)を経て、自然に男女交際へと移行していく。日本のように「付き合ってください」と明言する文化がないので、その辺のやり取りや駆け引きは日本のものよりも複雑で高度であることが想像できる。ただの口約束が何の意味も持たないことを理解しているからかもしれない。「I LOVE YOU」と言って告白するのはさらに次のステップ、つまり結婚のプロポーズを意味すると一般には解釈されている。

若者が一般にいうところの「付き合う」という口約束や、彼氏彼女と呼称し合うこと自体には何の意味はないが、もちろん男女交際には意味がある。交際を通じて互いの理解と許容を深め、互いが互いの最高のパートナーとなれれば、それに勝る幸せはない。

以上

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この記事を書いた人

平成生まれのアラウンド・サーティーです。30歳を迎えるにあたって何かを変えなければという焦りからブログをはじめました。このブログを通じてこれまでの経験や学びを整理し、自己理解を深めたいと思っています。お気軽にコメントいただけますと励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。

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