【日記】2008年1月「今年は全部捨てます」

日記
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2008年1月4日金曜日

あけましておめでとうございました。
2008年、また2年参りにみんなで言ってきた。俺とYとKとZとD君とK君で。寒かった。

2008年、昨年は小さな自分を捨てる年、にしたかった。まあできたかできないかはわからないけど、今年は全部捨てます。

もぉいい、こんなのありえない。最低最悪。反吐が出そう。こんな生活を繰り返していたらニートになった上に自殺してしまう。だからもうすべて捨てました、多分。Babyです。赤子です。何も考えられません。何もわからないから、これから学ぶのです。記憶もないのです。

あとあの子ね、もぉなんかダメかな。昨年と一緒、何となく感じてはいたけど、やっぱりあの子じゃないかな。

結局、俺の言う運命の人は一生現れることなく、打率も守備率もそこそこ良くて足もそこそこついてくる相手といい感じになり、これを逃したら一生一人だと無意識に悟った俺は、保険としてそのこと付き合いだし、その割にはワクワクしてる自分に余裕で満足して、幸せなんか感じちゃったりして、結婚とかしちゃったりして、死ぬときにこれで満足とか思っちゃうんだろうな。

みんなそう、というかそれでいいんだ。そういうのを運命の人って言うんじゃないのか。

俺は今までそんな人たちを軽蔑して見下してきたけど、それでいいんじゃないのか。
それで途中で別れたり浮気したり喧嘩ばっかりだったら、それは一人になりたくないだけのただの思い込みだと思う。
そうならないようにやっぱりいろんな人とお付き合いすべきだと思う。
だからやっぱり、どんどん付き合っちゃいましょう。
これが結論。

勉強せねば…。

2008年2月9日

あけおめことよろ

またせてそーりーごぶさたでー。部活を休部して勉強した。本当に毎日ちゃんと勉強したかどうかは想像に任せる。ペン回しは超うまくなった。

全身全霊をかけて今回挑んだわけですが、なんかいつもより勉強しすぎてラスト一週間やることなくて、そしたらなんかどうでもよくなってきた。今回超イージー問題だったから沢山受かってるっていうし、大丈夫でしょう。でももし落ちたら?青春18切符で全国回った後、東京でネットカフェ生活をしながら路上ライブするしかない。それからアメリカで何枚かCD出した後帰国して、まあお笑い芸人にでもなってオールナイトニッポンやって、あと少年院入ってボクシングとかもしてみたいね。

まぁテスト終わったら部活行かなきゃいけないわけだけど、部活ってホントに、心の底からめんどくさいね。やる気ないですって言ったけど、結局何も解決してないわけで、早く終わってくんないかなーつって、毎日毎日四六時中ギター弾きたい奴がさ、学校終わってんのに3時間もバスケしてたらギター弾けないじゃんよ。

久しぶりにシュート打つと、やっぱバスケ面白いなーってなるけど、10分くらいたつと、「俺なにやってんだ?」ってなってしまう。まあ楽しいからいいか、そういってまた10分くらいたつと「これって本当に楽しいんだっけ?本当は詰まんないんじゃない?」もぉそこでダメです。終了です。

もちろんギターだってそうなんだけど、ギターに関してはゆるぎない情熱がある。ギターは面白いし、ギターに費やした時間を後で後悔しないし、一生続けられると言い切ることができる。要は熱量の違い。

今の俺の世界はギターを中心に回ってる。ギターがうまいやつが偉い、下手な奴は偉くないのだ。クラプトンとジェフベックとジミーペイジが3人で天国への階段をやること生きる喜びを感じるのだ。ギターが太陽だったらジミーペイジやクラプトンやランディーローズやマイケルシェンカーが水金地、火星あたりに車とバイクがあって、木星が大学進学、その衛生に検定やテストがあって、土星が学校でその輪がバスケ。

しかも正確にはバスケじゃなくて、バスケットボールのリングにバスケットボールを入れるのが好き。だから試合に勝ったって俺がシュートを入れなければ嫌だし、俺がいっぱいシュートを入れれば別に負けてもいい。

スポーツには勝ち負けがあって、勝つことを目標に頑張るわけだけど、勝ち負けよりおsのためにどんだけ頑張ったかってのが大切で、そのために弱い自分に打ち勝つというのが大切だと俺は思う。でも好きで勝ちたいなぜなら買った方が楽しいから頑張れるわけで、弱い自分にも勝てるわけで、勝ちたくも楽しくもなければ本当にただ時間の無駄。

入部したことは勝ちたかったかもしれない、でも今は違う。悪く言えば飽きた。よく言えばバスケじゃなかった。俺って燃えやすいけど冷めやすいのよ。あーライダーマンだけ口が空いてるみたいな?そゆこっとー。

でも俺が最近思うのは、誰かにとって本当にどうでもいいことって、どうでもいいことだと思うのよ。だってバスケのルール知らない人もいればそんなスポーツ自体知らない人もいる。バスケ命で人生かけるのもありだし、ギター命で人生かけるのもありだと思う。バスケじゃなきゃダメってのもありだし、ギターじゃなきゃダメってのもあり。でも本当に大切なのは「バスケ」や「ギター」っていう「事柄」では説明できないような気がする。夢中になって楽しんでるものって、結局は事柄では表せない。最近そう思う。

僕から以上。

2008年3月7日

待たせてそーりーごぶさたでー。

近況報告、部活を休部して勉強して、なんとか合格した。

それからUさんと散歩に行った。自分についての話をした。
それはある日の授業中のことだった。まぁ、俺は誰かって言ったらそんなの解ってるよたぶん。俺は俺、この体であり、この心、精神、それ即ち俺。でもあの本に書いてあったように、例えば夢の中で別人になったとしても、俺は自分が自分だってわかる。例えば自分がもし透明人間になったらッて想像して、透明になったって俺は俺ってわかる。それってなんでだろう?俺が、俺を俺と思ってるのは結局心でも体でもない。俺が自分を自分だと思ってるものは何?そんなこと言い出したらアイデンティティなんで言葉何の役にも立たないんじゃないの?って思った。
結局外見なんて本当は全く何の役にも立たない。
もちろん外見が良ければ実生活で得られる利益はいろいろあるけど。

という話をした。

それから大学受験についての葛藤の話もした。自分は大学に行きたい→そのためには勉強しなくてはならない→勉強はしたくない。俺はやりたいことをやるために、やりたくないことをやらなければならない。この葛藤にどう決着をつけるか?

本当は大学へなんて行きたくないのか、本当に大学へ行きたいのか。本当は勉強したくないとは思ってないのかもしれない、本当に勉強したくないのかもしれない。大学に行けなくても年収2,000万稼げれば何でもいい。それってつまり本当は大学に行きたいわけではないということ?しかし大学に行かなければ今までの高校2年間が水の泡。親にも悪いし、できれば大学へ行けた方が自分としても安心。でも俺は勉強したくない。しかし、大学に行って損はないのだからとりあえず行くべき。これで果たして本当に良いのだろうか?

なんでもいいから早く卒業したい。早く大学に合格して心から幸せな日々を過ごしたい。それが実現できれば、もう文句ないです。

でも本当はそんなのどうでもいいってわかってる。そんな不安を恐れることはできない。心に幸せを持っていればいつだって幸せです。俺はずっと運命の人間と、いつか必ずどんな人生でも現れるであろう人間と出会うことを夢見てきた。それはもう知ってる人なのかもしれない。でも結局、運命の人なんていないとわかる。どんなところに行って誰と出会ったって、それで最高に幸せな人生だったと思うしかないから。なんなん?

まあ、検定受かりましたからひと段落ですね。あとは4.0、3年一学期頑張らなきゃなー。

おわり

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この記事を書いた人

平成生まれのアラウンド・サーティーです。30歳を迎えるにあたって何かを変えなければという焦りからブログをはじめました。このブログを通じてこれまでの経験や学びを整理し、自己理解を深めたいと思っています。お気軽にコメントいただけますと励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。

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