Hから漫画「蒼天航路」を借りた。一年ほど前にだ。最近Hと久しぶりに飲む機会があって、それまでに読み切らねばと思って慌てて読んだ。以下感想。
漫画「蒼天航路」
漫画「蒼天航路」は、三国志の物語である。これまでの三国志の物語の中に「蒼天航路」が生み出した新しさは「曹操」を主人公に描いたことだ。
この作品を読みことによって、曹操孟徳がどれほど才能にあふれた男であったかがよくわかる。
「乱世の奸雄」と呼ばれた曹操、血も涙もない武将という印象で、劉備玄徳を主人公とする三国志では悪役として登場することが多い曹操だが、「蒼天航路」を読み終わった後にはすっかりファンになっていることだろう。
「蒼天航路」で学んだこと
私は今まで、「どうすれば金持ちになれるか」ということばかりを考えて生きてきた。
思えば会計士試験に挑んだのも全てはお金のためだし、ろくに勉強もしてこなかった私が机に向かっていた時間のほとんどは、結局は「お金」のためであった。
「お金」のために朝起きて、広義に出かけ、ノートをとる。「お金」のために復習して、試験に臨んで、単位を得る。「お金」のために企業研究をして、就職して、さらに勉強する。
金と地位と見栄のために、そんなラットレースを死ぬまで続けるのか?
24時間356日の法則と私が呼んでいる法則によれば、正しい資源を正しい過程に投資することで、時間さえかければ何事も成し遂げられるようになる。
「お金」を稼ぐことだけにフォーカスし、そのために努力すれば、いつかは届くと信じてきた。
そんな私が「蒼天航路」を読んで気づかされたのは、
「自分の欲望のために努力するよりも、誰かのために努力するほうが、結果的に効率的である」
ということだ。なぜか?
「自分の欲望」と「自分の適性」は異なる
当たり前の話だが、自分がどのような人間になりたいかを望むのと、そうなるための適性を持っているかどうかは、まったく別の話だ。
金持ちになりたいと願う人間に金儲けの才能があるとは限らない。
プロ野球選手になりたいと望む人間に野球のセンスがあるとは限らないのだ。
自分の欲望にあまりに従順すぎると、自分の適性とはかけ離れた道を選択してしまいかねない。(私がそうであったように)
「誰かのために、自分に何ができるか?」
広く世のため人のために尽くそうという思考は同時に「自分に何ができるか?」という問いを想起させる。
「誰かのために、自分に何ができるか?」「自分が誰かのために与えられるものは何か?」と考えれば、おのずと自身の適性に目が向き、自身の持つ人よりも優れた能力というものを見極めることに繋がる。
今までの自分がいかに低俗な欲望に従順で、いかに自身の適性を見極めることを怠ってきたかということを「蒼天航路」の曹操は教えてくれた。
作中の曹操は「自分に何ができるか?」「自分に何が求められているか」をいつも明確に把握していた。そして自分が民のためにするべきことだけをいつも真剣に考え実行した。そういった考え方、姿勢が、今までの私には全くなかった。
「中華の民のために、自分に何ができるか?」この思想が曹操を突き動かした。そしてその思想が彼を天下へと導いたのだと思う。
「個人にできることには限界がある」
次に私が学んだのは
「描けた夢の大きさで人生は決まる」
ということだ。
利己的に私欲を追求するだけではたどり着けない頂がある。なぜか?
一般論として、その人物がどれほど有能であっても、一人では組織の力に勝ることはできない。大きなものを動かすには、大きな物事を成し遂げるには、同じ志を持つ仲間を集める必要がある。
ではどのような人物に人は集まるのか?
広く世のため人のために尽くそうという「大きな夢」の元に人は集まる。
つまり人々に魅力的な夢を見せ、それが自分にとって有益であると受け入れられれば、人は集まる。
私利私欲しか追及できない人間、つまり「小さな夢」では人を集めることが難しく、結果として目的達成の障害となる可能性がある。
「蒼天航路」感想まとめ
「何をしたいか」ではなく「何をすべきか」という視点によって、彼は「天下」という大きな夢を描き、多くの人間からの支持を集め、集めた人の数だけ大きなことを成し遂げたのだと、私は感じた。
それは劉備も孫権も同じことだ。
本物の成功をつかめる人間というのは、「何をすべきか?」という明確な使命の元に動くことのできる人間であると肝に銘じよう。
「すでにおらぬものの言葉がほしいなら、その人間を丸ごと自分の中にぶち込み、数多くの自問をすることだ」
漫画「蒼天航路」曹操の言葉
おわり