私の名前は免色歩。××県の田舎町に住む、17歳の高校3年生だ。趣味は中学生の時から始めたギターだ。家の中ではギターを方見放さず持っている。それくらいギターと音楽が好きだ。
父が会計士だった。高校に進学してから兄も会計士になるための勉強を始め、東京の大学に進学した。兄にできたことなら、自分にもやればできるような気がした。私は中学校3年にして簿記を勉強し始め、兄と同じ大学に進学するために××高校へ入学した。会計士が昔からの夢や憧れであったわけではないが、会計士は私にとっては一番身近な職業であった。父の話を聞いていると、当時、特にこれと言って将来の目標がなかった私にとって、会計士という目標はすごく現実的で、魅力的に思えた。言い方を変えれば、一番飛びつきやすく、手っ取り早く、掲げやすい目標が会計士だった。とにかく将来の見えなかった私は、何でもいいから具体的な将来の目標を決め、安心したかった。目標に向かって勉強することで、将来の保険が欲しかった。
目標を持ち高校に入学した。そのため、何の目標もなく「とりあえず」という気持ちで入学してきた人間がとても馬鹿で、邪魔に思えた。だからクラスの人間とはいつも距離を置いていたし、見下していた。誰よりも先に簿記を勉強していた私は、レベルの高い検定に誰よりも早く合格し、トップクラスの成績で進学し、社会的エリートとなって幸せな将来を手に入れるのだと意気込んでいた。
しかし、実際にそうはいかなかった。一番遊んで痛い年ごろに、毎日決められた時間に家に帰って勉強しなければならないというのは、私にとって苦痛でしかなかった。そうそうに私は音を上げ、そのため気が付けば周りは皆自分のレベルに達し、早くも私は平民になり下がった。そのことで挫折し悩んだ私は、結論として「自分には簿記には向いていないんだ」という愚かな答えをはじき出した。自分に合った本当にやりたい仕事とは何かを今からゆっくり考えようと思った。だがいくら考えたところで、自分を満足させられるような答えは出てこなかった。そして結局、中途半端な気持ちのまま、元の道に戻ることとなった。
そして今年の10月、私は高校3年間のすべてをかけて挑んだ大学受験に失敗した。私が3年間思い描いた夢がその瞬間にすべて崩れた。まだ高校3年生の私にとって、その絶望は計り知れないほど痛烈なものだった。生きる目標を完全に見失ったのである。
結局、私の目標は会計士という職業ではなく、東京で大学生がしたいという浅はかなものでしかなかった。上京して一人暮らしをすることが私の夢であり憧れだった。しかし東京の大学ならどこでもいいのかといえば、それでは不安だった。そんな甘い考えで努力もせずぬるま湯に浸かった怠け切った生活と精神が、自分自身を絶望と不安の境地に突き落としたのだ。そしてあれから一カ月たった今でも、その精神は何一つとして変わってない。成長がないのだ。一度は前に進もうと、自分の将来について本気で考えてみるが、すぐに立ちはだかる不安と恐怖にやられて同じ場所に戻ってきてしまう。
そして今私はアメリカへ留学するという、どこまで本気か自分でもよくわからない目標のために、××県の大学を受験するためにここへ来た。次の日曜日には東京の大学の文学部哲学科を受験することになっている。それが終わってしまえば、私には何もなくなってしまう。
つまり、私には人生をかけることのできる夢がないのだ。大きな夢を持ったところで、それは不可能という言葉によって隅に追いやられるか、不安という言葉によってかき消されてしまう。どうしてもこれじゃなくてはいけないという夢が欲しい。しかし、それを探し出すにはもう手遅れであり、取り返しがつかないのだ。すると、私は人の目を気にして、つまらないこだわりのために一番楽な道を選んでしまう。そしてその判断が新たな問題を呼び、いつまでたっても成長することのない精神を生むのだろう。
多くの選択肢から一つを選ばなくてはならないというのが私は怖い。どの道を選んでも後悔してしまいそうだからだ。
私に足りたいのはその潔さと強さと、夢に向かって努力するためのゆるぎない決意だ。私は人としてあまりに不安定で弱すぎるのだ。己を磨き、何事にも動じない強い精神を培えば、人は何度でも立ち上がり限りなく成長することができるだろう。人生において本当に大切なのは成功ではなく成長なのだ。私は目標がなければ努力ができない人間を、愚か者だと思っていた。しかし、時には無理にでも目標を掲げ、自分を成長させることも大切なのだと学んだ。そして今回の失敗で学ぶことのできた多くの教訓を生かし、精進すべく正しく生きていきたい。
以上