【日記】2020年5月「本当にやる気が出ない」

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本当にやる気が出ない

最近本当にやる気が出ない。
なんなんだろうこれは。全く働く気が起きない。一生懸命やろうという気持ちが起きない。

理由① 頑張って働いたのに、給料が上がらなかった。

だったら頑張っても意味なくね?やらない方が得じゃね?

理由② 他に頑張るべきことを見つけた。

仕事なんてどうでもいい。どうせやっても給料が上がらないなら、
自分で稼ぐしかない。働いてもお金にならないなら、自分でお金を集めるしかない。

理由③ この仕事は俺に向いてない。

やっても意味がない。俺の人生は少しも豊かにならない。
自分の人生を豊かにすることに全力を注ぎたい。MDAのセグ別営業利益が一体なんだというのだ??

なぜ昔は頑張れていたのだろう? この業界で頑張ろうという気持ちが少しはあった。まだ会計士になろうという思いがあった。だから学ぼうという意思があった。仕事ができる人間になりたいという思いがあった。出世して給料を上げて生活を豊かにしたいと思った。資格を取って転職して、お金を稼いでワンランク上の生活を手に入れたいと思った。

でも今はそう思わない。なぜか? 資格を取って、転職して、仕事ができる人間になって、給料を上げたとしても、俺が望む生活は手に入らないことが分かった。結局一生サラリーマンであることに変わりがないことが分かった。朝から晩まで、自分にとって意味のない日々をひたすら積み上げることになることが目に見えてる。

そんな風に朽ち果てていくのは嫌だ。
人より頑張って人より報われないのが嫌だ。
自分の手に入れたい未来を手に入れられないことが嫌だ。

豪邸に住みたい。お金が欲しい。ヴァカンスがとりたい。
海外に行きたい。自分がすり減っていくような労働はしたくない。

職場のKさん

職場のKさんはすっかり部長のお気に入りだ。二年前にここへ来たときは、会話にすらまともに参加できない内気な人間だったのに。私は彼を完全になめていた。Kさんは私と同じ30歳、社会人経験は8年目だ。Kさんがここへやってくる前、同い年のAさんという人がいた。彼がまたものすごく優秀で、28でヨーロッパへ派遣された。そのAさんに比べて、このKという男はそれほど優秀な人材ではないと私は勝手に評価していた。ここでの経験が長い分、私の方が優れているとどこか錯覚していた。それがなぜ、今や上位のお気に入りなのか?

理由① 時間

彼はとにかく残業が多かった。何をしているかはわからなかったが、彼はとにかく誰より働いた。私が日々の業務にやる気を失い職場から逃げるようにして帰宅していたあの頃も、彼はひとり専門性に磨きをかけ続けた。毎日その刃を研ぎ続けたのだ。

理由② 専門性

彼は誰よりも働いたことで、担当業務における誰よりも深い知識を身に着けた。そして重要な局面において上位の良きアドバイザーとなることに成功したのである。ポイントは「担当業務」という限られた範囲において他の追随を許さない圧倒的な専門性を身に着けたということである。彼は「QA」と「情報開示」という分野において、自分の担当を極めた。だから限られた状況の中で、必要とされる人間になることができたのだ。

私にはこの「専門性」が完全に欠如している。他人よりも優れた知識を何一つとして持ち合わせていない。すべてが中途半端で、月並みで、ありふれたスキルや知識しか、私は持ち合わせていない。

では「専門性」とは何であろうか? 私がどのような知識を、どれほど深めることができたときに「専門性」を身に着けたと言えるに値するのだろうか? 思うに、限られた状況や環境における「専門性」とは結局、相対的な知識量によってその有用性が決定され、高低が評価される。

文系大学院卒の人間しかいない職場であれば工業高校卒業レベルでも十分にエンジニアとしての専門性を持っていると評価されるし、芸大卒の人間しかいない職場であれば簿記3級でも相対的に経理人材としての専門性は高く評価される。「専門性」という言葉を語るときには、必ずそれが発揮される「環境」も併せて語る必要があり、環境への言及が片手落ちとなっている説明は、おそらくほとんど意味がない。

そして専門性を決定づけるもう一つの要素が「責任感」である。「お前が言ってること、間違ってたら責任取れんのか?」ということだ。専門性が高い人間は発言に「責任」がある。「私の言っていることに間違いはないです。もし間違ってたら責任取ります」そう自信をもって言えることが「専門性」を裏付ける大きな要素だ。

だから、私が何かある特定の分野における高い専門性を身に着けたいと望みのであれば、それを「どこ」で「どのように」発揮したいと望んでいるのかをまず考えるべきなのである。例えばこのように。

「私は経理会計の専門性を高めたい」

【場所】
→監査法人?
→戦略系コンサルティングファーム?
→会計コンサルティングファーム?
→税理士事務所?
→一般企業?→大企業?中小企業?
→個人事業主へ向けたコンサルとして?→職種は?

【内容】
→財務会計?管理会計?会計監査?
→固定資産?予算管理?決算?連結?M&A?分析?

私は経理が嫌いだ。そのために全く別の職種への転職すら考えている。しかし一口に「経理」と言っても、その裾野は広い。「経理が嫌いだ」なんていうセリフは、その事実をまるで理解していない素人の考え方であると言わざるを得ない。経理の広い裾野の中に、自分が興味を持てるような内容が一ミリも含まれていないなどと、なぜ言えることができるのだろうか? それこそ圧倒的な専門性がなければ、「私は会計が嫌いである」などとは発言できないはずだ。

私はもう経理会計を15年続けてきた。15年と言ったら私の人生の半分だ。15の時に購入したカシオの電卓と人生の半分を連れ添ったのだ。言うまでもなく、今から全くの他業種へ挑戦するよりも、「経理」という分野の中で自分の適正を模索するほうがはるかに効率的であるし、効率的であるがゆえに期待した成果も得やすいだろう。

この世界に15年もいながら、「経理会計で食っていく」という覚悟が、やはり今の私にはない。それは「自分で選んだ道ではないから」という思いが根底にあるからだ。この15年間、私はこの問題から逃げ続けた。

何かを習得したいと考えたとき、自分が何を習得したいのか、それを習得した時どのような自分になっていたいのかをもっと明確にイメージする必要がある。習得したいと思った分野を細分化し、その中から自分が知りたい情報を、得たい知識を効率よく、ピンポイントで吸収する能力が私には足りない。いつも物事を大枠でとらえて、そのために情報処理が追いつかず手にあまり挫折するのだ。一歩一歩、最小単位から片付ける。これが問題解決の基本ではないか?

以上

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この記事を書いた人

平成生まれのアラウンド・サーティーです。30歳を迎えるにあたって何かを変えなければという焦りからブログをはじめました。このブログを通じてこれまでの経験や学びを整理し、自己理解を深めたいと思っています。お気軽にコメントいただけますと励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。

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