2006年4月「退屈でつまらない所」
高校は想像通り退屈でつまらない所だった。僕の入学した高校の専門学科は、クラスの四分の三が女子だった。そしてそのうちの四分の三がどうしようもないブスだった。入学式でその事実に気が付いた僕は愕然とした。女子の多いクラスならきっと新しい恋やときめきが待っていると少なからず期待していたが、クラスの女子どもを目にした瞬間、僕の高校生活は終わったと悟った。
入学後間もなく、奈保子からメールがあった。
「久しぶり。今日カオル君と駅で会ったんだけど、カオル君に女の子を紹介してあげてよ。なんか女の子の友だちが欲しいんだって。アユム君はカオル君と同じ高校でしょ?だから誰か紹介してあげて!」
なぜカオルが直接僕に言わないんだろうと気になったが、奈保子からメールが来たのだから何の問題もない。僕は「だったら奈保子が紹介してあげればいいじゃないか」と返信した。
「でももう学校が違うから、同じ高校の子の方がいいでしょ?カオル君はいつからあんなに女の子が苦手になったの? 変わっちゃったね」
「カオルが女の子が苦手なんて聞いたことないよ。中学のころも女の子とはしっかり遊んでたはずだし」
「でも女の子が苦手って言ってたよ。結構前の話だけど、カオル君て千里のこと好きだったよね?だからアドレスを教えてあげたの。でもなかなかうまくメール出来ないみたいなの」
「たぶん今でも好きだと思うよ。千里さんはカオルのことをどう思ってるんだろうね」
「残念ながらたぶん千里は好きじゃないと思う。それでね、今度の日曜日に遊びに行こうってカオル君に誘われたんだって。でも二人じゃ嫌だからって、私も行くことになっちゃったの。だからアユム君も来て欲しいの」
集合場所は小学生のころ奈保子たちを誘って行った公園だった。花見をしながらみんなで楽しくおしゃべりでもしようという予定だったが、既に散ってしまった桜を楽しめる訳もなく、良く分からない空気のまま謎の会が始まった。カオルは照れているのか、口数がやけに少なかった。僕と二人でいる時はもうお腹いっぱいというほどしゃべってくれるのに。そういえば千里さんとカオルが二人で話してるところなんて見たことがない。僕は急に不安になってきた。
カオルと千里さんの会話がなかなか繋がらないまま小一時間が経過した。僕は「学校はどう?」とか「もう部活はやってるの?」とか、たまに会った親戚の伯父さんのような当たり障りのない質問をひたすら続けた。二人は茶道部に入部したらしく、学校の方はそれほど楽しくないとのことだった。「中学校の方が楽しかったよね」と彼女たちは口を揃えて言った。みんなそうなんだ、と僕は少し安心した。
僕が振った話をきっかけに彼女達は二人で中学校の思い出話を始め、僕は適当に相槌を打っていた。それでもカオルは一向に会話に参加する様子がないので「ごめん、ちょっといい?」といってカオルを連れ出し喝を入れた。
「お前なんで黙ってんだよ。千里さんが退屈してるって見てて分かんないか? もうあの二人絶対帰りたがってるよ」
「わかってる。ただ彼女を前にすると言葉がうまく出てこないんだ。話そうと思うともう話題が代わってるんだよ。馬鹿にされてるんじゃないかと思って怖いんだ」
「なんでもいいから話せばいいんだよ。別に誰も馬鹿にしやしないから。彼女に聞きたいことなんていくらでもあるだろ?」
「山ほどある。生理はいつ来たとか、ブラジャーのサイズとかね」
「お前まだ彼女のことが好きなんだろ? 彼女はもういつでも学校で会えるような近い場所にはいないんだよ。これが最後のチャンスだ。後悔するぞ」
僕たちは作戦を練り直すと再び戦場へ戻って行った。彼女達は携帯を取り出しコチコチと忙しくメールを打っていた。僕たちがその様子をしばらく眺めていると、見て見てと言って千里は奈保子の方に携帯を差し出し、二人で同じ画面を見ながらゲラゲラ笑いだした。帰ってふて寝をしたい気分だった。
二人の笑いが一段落したところで、僕は「高校にいいなって思う人いないの?」と聞いてみた。「カッコいい人少ないよね」と二人は顔を見合わせて言った。彼氏とか…と僕が言いかけたその時、ついにカオルが口を開いた。
「千里はどんな音楽聞くの?」
「音楽?普通のJポップだよ。aikoとかミスチルとか」
「ディル・アン・グレイって知ってる?」
「聞いたことないかも。日本人?」
「知らないの? 日本人だよ。ディル・アン・グレイのボーカルで京さんて人がいるんだけど、この人のライブパフォーマンスがもう圧巻なんだよ!京さんが自分の手首をね…!」
おいカオル、違うよ。カオル!そっちじゃない!
僕が慌ててカオルに発砲中止の視線を注いだ時には、彼はもう止まらなくなっていた。楽しいはずのお花見会は、いつの間にか裸の桜の下でモテない男が一人で血生臭い自傷パフォーマンスの話をするという訳の分からないものに変貌していた。カオルは腕にカッターで彫った「Dir en grey」の文字を彼女達に自慢げに見せつけた。馬鹿にされることはなかったが、もちろん彼女達はドン引きし、ひきつった笑顔ですごいねと言った。僕は天を仰ぎ、深く深呼吸した。そしてゆっくり目を閉じ、耳を塞ぎ、口をつぐんだ。
カオルの放った弾丸の嵐は見事に彼女たちの心を蜂の巣にし、戦場には醜悪という名の銃声がこだました。そろそろ帰らなきゃといって六時ごろ彼女達は帰っていった。カオルは彼女たちが行ってしまった後でも放心状態でベンチに座っていた。あるいは宙に漂う失言の数を数えていたのかもしれない。そして蚊の鳴くような声で「僕はもう駄目だ」と言った。
カオルが自分の事を「僕」と言い始めたら、それは本当に駄目な時だ。カオルは正直すぎた。友だちの前で見栄を張ってみせたり、好きな子の前で格好付けたりできない奴なのだ。彼がこんな風になったのは今まで一度や二度ではなかった。中学生のとき、千里さんに彼氏ができたと知った彼は、その場に文字通り崩れ落ちたことがあった。ふらふらになりながら歩くカオルが心配で一緒に下校していると、彼は田舎道の数少ない電信柱にぶつかりそのまま頭から田んぼに突っ込んだ。そういう奴だった。
カオルは桜の花で埋まる地面にうずくまり、そのまま動かなくなってしまった。声をかけても「僕はもう駄目だ」としか言わない。僕は地べたに横になる旧い友人を眺めながら、俺はいったい何をしてるんだ? と思った。
僕は今日、奈保子に告白するつもりだったんだ。カオルと別れ、奈保子が千里さんを駅まで送り届けたら、僕は奈保子を呼び出して告白するつもりだった。まだ間に合うかも知れない。僕は奈保子に「カオルが大変だから千里さんを送ったらこっちに戻って来てほしい」とメールしたが、「私が行ってもたぶん何もできないから」といって家に帰ってしまった。
僕も一緒に地べたに座り込んで泣き出してしまいたい気分だった。これは最後のチャンスだった。僕はとうとう、彼女を手に入れることができなかった。いつまで経っても立ち上がろうとしないカオルの腕を担ぎ、引きずるようにして家まで送り届けた。
楽しいお花見会からおよそ一カ月後、奈保子からメールが来て、特に実りのない会話を二三やり取りした。さらに数週間後、彼女から「高校の友達が免色君とメールしたいって言ってるんだけど、アドレス教えてもいいかな?」というメールが来た。僕が「なんで?」と聞くと、「やっぱりいいや」と言って、それきり連絡は途絶えた。高校二年の冬にアドレス変更メールを送った際、奈保子のアドレスが変わっていることに気がついた。奈保子と連絡を取る手段を失ってから、僕の中の彼女への想いは徐々に薄らいでいった。
おわり