【短編】2014年2月「ごみの話」

短編

僕は十八から二十二の間に全部で三度の引っ越しをした。十八の時に初めての独り暮らしに選んだS市のアパートは、居間の床一面にカーペットが敷き詰められていた。二十歳になって越した東京のアパートもそうだった。だが二年前に越してきたこのアパートは全面フローリングだった。

フローリングの部屋に住んでみて初めて気づくことがある。意外と小さな衝撃で凹むことや、すぐに傷がつくこと。そして一週間もすると床一面が埃だらけになるということ。

実家は全部フローリングだったが、母親が働き者であったため僕の部屋の床は常にピカピカに磨き上げられていた。実家の床に埃が落ちているのを僕は十八年間一度も見なかった。

フローリングの部屋がこんなに多くの手間を要するものだなんて、いやそれ以前にワンKのアパートはこんなにもすぐに埃が発生するのかと驚いた。一体今まで住んでいた部屋のカーペットはどこまでがカーペットでどこまでが埃だったんだろうと思うと少しぞっとした。

埃だけでなく髪の毛もだ。掃除した次の日にはもう訳のわからない髪の毛が部屋のいたるところに落ちている。これも面倒だ。以前に住んでいたアパートは実は全面フローリングで、人が住んでいるうちに髪の毛と埃で天然のカーペットが出来上がったんじゃないかとさえ思った。

要するに、独り暮らしの狭い部屋の床はすぐに汚れるのだ。わざわざ数万円もする空気清浄機を置いてほとんど二四時間稼働させているというのに。

一度キッチンと居間とを仕切るドアを開けた風圧でベッドの下の巨大化した埃が飛び出て、ネズミかと思って背筋を凍らせたこともある。

これはいったいどういうことなのか?埃はどこからやってくるのか?髪の毛はいつ、どの段階で抜け落ちるのか?なぜまるで一本一本が意思を持ち示し合わせたかのように均等に部屋中に分散されるのか、見当もつかなかった。

もしかしたら夕食後に音楽を聴きながら踊っている時に抜け落ちているのかもしれないし、髪を乾かしてるときに抜け落ちた髪の毛がドライヤーで遠くまで飛ばされるのかもしれない。心当たりがあるとすればテンションの上がった夜中にメタルを聴きながら姿見の前でひたすらヘッドバンキングすることくらいだ。でも毎日しているわけじゃない。毎日ヘドバンなんてしてたら首がブロック・レスナーになってしまう。

だから僕はこのアパートに越してきて一カ月ほどしたある日にマキタの掃除機を買った。いろいろ調べたがやっぱりマキタが一番だった。ダイソンなんて使ってるやつは欧州かぶれのセレブ気取りの情弱だ。別にこれはステマでも何でもない。僕がいくらここでマキタの掃除機の素晴らしさを語ったところで僕の所にはきっと多機能ノズルどころか替えの紙パックだって送られてこない。だがこれだけは言わせてもらおう。マキタの掃除機は日本の誇りだ。掃除機だけに。

掃除機を買おうと思ってるんだけど、という人には必ずマキタの掃除機を勧めるし、お邪魔した家にマキタの掃除機があると、ああこの人はできる人だな、と僕は思う。マキタバイアスだ。

それはいいとして、マキタの掃除機を手に入れた僕はこれで毎日気持ちよく床を掃除している。それはこの一年で完全に僕の生活の一部となった。マキタの掃除機は僕に人間の生活というものを教えてくれた。僕はせっせとマキタの掃除機をかけ、次の日にはまた新しい埃と新しい抜け毛が床に積り、僕はそれをマキタの掃除機で吸い上げた。

「でもいつまでこんなことが続くんだろう?」

僕は基本的に自分の家に人を呼ばない主義だ。理由はいくつかある。

第一に、つまらないからだ。他人を家に招いたとして、僕は何をしたらいいのかがわからない。

昔からそうだ。友達の家には、面白そうなおもちゃやゲーム、漫画や遊び場所がたくさんあったが、僕の家にはそれがなかった。いや正確には、友達の家にはあるように思えて、僕のうちには無いように思えた。家に遊びに来る友達は特に退屈そうなわけではないのだが、僕はひどく退屈だった。今でもそうだ。僕は基本的にこの部屋に他人を招くことを想定していない。来客者用のスリッパもないし、茶碗もマグカップも、ゲームのコントローラーも、座椅子もクッションも、布団もパジャマも、全部一人用しかない。

「誰かがいてくれることを前提とした生活なんて嫌なんだ。分かるだろ?」

第二にして最大の理由は、僕が軽い潔癖だということ。家の中には僕が独り暮らしの中で作り上げた様々なルールが存在する。この際だから一覧にしてまとめたいと思う。(汚染物質とは何か?)

ルールその一、部屋の中には大きく分けて、汚染区域、生活区域、聖域、の三つの領域が存在する。

簡単に説明すると、床が汚染区域、ラグの上が生活区域、ベッドの上が聖域だ。本当はもっと沢山の領域が存在するが、あげるときりがない。玄関とベランダは屋外とみなされ、汚染区域よりも下の位に位置する。

ルールその二、汚染区域に直接接触したものは、汚染物質とする。

例えば取り込もうと思った洗濯物がベランダにてしまった場合、それは汚染物質とみなさ洗濯し直す必要がある。外界から直接やって来た物も汚染物質だ。例えば出かける際に着ていった洋服、携帯電話、財布も汚染物質だ。

ルールその三、汚染区域からの生活区域、聖域への直接的な移動を禁ずる。

つまり簡単に言えば、フローリングの上ではスリッパを履け、ということだ。そして外で履いた靴下やスリッパのままでラグの上に上がるなということ。

これは重要だ。そして他人が家に来た場合もっとも犯されやすいルールでもある。外から帰ってきた際にはまず靴下を脱ぎ、風呂場で簡単に足を洗って(石鹸でごしごし洗う必要はない。あくまで簡単に)、新しい靴下を履かないと生活領域に踏み入ることはできない。たまに無神経な客(ネットの修理工など)がずかずかと汚い靴下のままラグの上に侵入することがあるが、僕にはその無神経さが理解できない。

ルールその四、汚染物質を生活区域、聖域に持ち込むことを禁ずる。

つまり、外で買ってきたものや、外へ持って行ったバッグ、フローリングに直接おいてあるようなものを、ラグの上やベッドの上に置くなということだ。

これも重要だ。そして犯されやすい。時々来客が自分のバッグを勝手にラグの上に置いたりする。困ったものだ。

ルールその五、汚染物質を生活区域に持ち込む場合は、除菌するか、もしくは直接接触しないようにする。

最もよい例が携帯電話だ。僕は外へ持ち出した携帯電話を家に帰ってきたら必ず除菌ティッシュで拭く。普段から身に着けているものの中で携帯電話が最も汚い。持論だ。携帯電話はいつ、どこにいても触るし、どこにでも置く。そして一般的には洗うということをしない。あらゆるウイルスや細菌は、携帯電話の普及によってその感染経路を大きく拡大したと言えよう。

次に髪の毛だ。手と足を洗うことは大前提として、髪の毛も汚染度の高いパーツの一つだ。外に出た場合、髪の毛は一日中外気に触れることになる。当然砂埃や塵が付着している立派な汚染物質だ。この汚染物質を生活領域である座椅子の背もたれやクッションに直接付けることはできない。付けたい場合はタオルを一枚挟む。それがルールだ。

風呂に入って全身を洗えば体を除菌したことになり、生活区域と聖域への侵入が許される。

ルールその六、聖域には完全に除菌された物のみ持ち込み可能とし、聖域での飲食を禁ずる。(ガム、飴を除く)

こうしてルールを一見すると、生活領域と聖域には大きな違いはないように思えるが、実はそうではない。聖域はその名の通り、部屋で最も神聖な場所である。生活領域であれば多少の除菌やタオルを挟むことで接触を許されるが、聖域はそんなに甘くはない。飲食なんてもってのほかだ。女性を召し上がる分には構わないが。

以上がこの部屋のルールだ。これさえ守ってくれれば、あとは好きにして構わない。

真梨子には何度これを注意したことか。結局奴は最後の最後までルール三とルール四を犯し続けた。来客の中にはこのルールのすべてを犯して一泊していった強者もいた。当然無期限入国拒否だ。

このようなルールがあるおかげで、僕は家に人を上げずに済んでいる。家に行きたいという人間がいればまず「俺の家は面倒だよ」という。具体的にどこが面倒かを話せば、ほとんどの相手は納得してくれる。ああこの人は潔癖症なんだ、と。納得しない人間には、少々大げさに事実を伝える。まず玄関で裸になって粉末除菌剤をかぶってもらうとかなんとか。そうすれば二度と家に行きたいなんて言わなくなる。こうして僕は誰にも邪魔されない僕だけの城を築き上げた。

それでも時々、無理にでも家に来たがる人もいる。僕が断ると、場所だけでも教えてとか、間取りはどうなってるとか、家具や家電はどこのを使ってるかなんてしつこく聞いてくる人も中にはいる。なぜそんなことを知りたがるんだろう?

「どこに住んでるの?」と聞かれれば、僕はいつも「江戸川橋です」とだけ答えておく。

おおよそ半分の人間はふーんと言って会話を終わらせ、もう半分の人間は江戸川橋ってどこですか?と聞いてくる。まれに「あー有楽町線のね」と場所を知っている人もいる。

「江戸川橋ってどこですか?」と聞かれたら、「飯田橋の隣です」とだけ答えておく。そうすればほとんどの人間は納得してこの会話を終わらせる。まれに飯田橋ってどこですか?という質問をする人もいるが、そういう人には、「飯田橋っていう橋があって、ヤクルトが優勝した時にはみんなそこから神田川に飛び込むんだ。時々ニュースで見るだろ?」と言っておく。ありがたいことにそれ以上の追及は今のところない。

僕自身が潔癖であるため、他人のうちに上がる時には必ず前もってルールを確認する。大抵の人間は、「別にルールなんてないよ」と言う。この台詞はもう何度も聞いた。僕から言わせれば、ルールがない家なんてない。ルールがない家なんてものはまだ建てられていないか、誰のものでもない家だけだ。ルールなんてないよ、という人はおおよその場合、自分で作り上げたルールに気が付いていないだけだ。そういう場合は僕がわかりやすい例を挙げて、主にルールを自覚させる。

「例えばまず手を洗えとか、一日外に出歩いた服でそのままベッドに上がるなとかだよ」

「いつも手なんて洗ってないから。別にそのままベッドに上がっても問題ないよ。時々帰ってきてそのまま寝ちゃうこともあるし」

「じゃあ布団にカップラーメンのスープをこぼすなとか、枕を座布団にするなとかは?」

「布団を多少汚すのは構わないけど、枕を座布団にされるのはなんかちょっと嫌だな」

こうしてルールが一つ浮き彫りになる。

「枕を座布団にすることを禁ずる」僕は忠実にそのルールに従う。

他にも、「このまま座っても大丈夫?」とか「これ触っても大丈夫?」とか「靴下は脱いだ方がいい?履いてた方がいい?」とか、その都度聞く。

僕の経験上靴下の扱いは人によって大きく変わってくる。三割の人間は、どちらでもいいよ好きいして、と言う。三割の人間は脱いだ方がいいかな、と言う。三割の人間は、頼むから脱がないでくれ、と言う。残りの一割は、風呂場で足を洗って靴下を履き替えてくれ、と言う。

靴下を脱いだ方がいいという人間は、靴下が如何に汚いかを知っている。事実一日外出した靴下には百万から億単位の細菌が繁殖しているといわれている。

靴下を脱ぐなという人は、そもそも靴下の細菌の発生原因は足そのものにあるのだから、汚いのは靴下よりもまず足なのだ、と言うことを知っている。そして靴下から解き放たれた男子大学生の足の臭いがどれだけ危険なものかをよくわかっている。

このように、家には人それぞれのルールと言うものが存在し、それに基づいて彼らは生活している。

おわり

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この記事を書いた人

平成生まれのアラウンド・サーティーです。30歳を迎えるにあたって何かを変えなければという焦りからブログをはじめました。このブログを通じてこれまでの経験や学びを整理し、自己理解を深めたいと思っています。お気軽にコメントいただけますと励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。

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