2009年11月
いつまでも子供ではいられない。
連絡を取らなくなって二か月ほど経ち、その間彼女から二度電話がかかってきた。一度目は友達と二人でいたみたいだ。突然俺に“もうひとつの土曜日”を電話越しに歌ってくれというものだった。二度目はインフルエンザであまりに退屈だったため。たわいもない会話をいくつかやりとりし、退屈な会話と時間、無意味な通話料金と携帯のバッテリーの消耗に耐えられなくなった俺から電話を切った。ここ数週間、数か月、いろいろ変ったことがあった。俺は髪を切ったし、バイトも始めた。もう俺は、俺の中にある彼女へのパイプを自ら断ちきってしまったようだった。自分を伝えようとすることをやめてしまった。それが大きな違いだ。
KとHさんが付き合いだした。その時期の前後に何かといざこざがあった。俺が嘘をついてみたり、Kがまた強がったり、Yさんが頑張ってみたり、それに触発されたこKがキレてみたり、予期せぬ人物が暴走を始めたり、俺がKとYさんに長文メールを送ってみたりと、いろいろあった。最初、この二人が付き合いだすということは俺にとっても重要な問題のように思えた。Kがあれだけ訳のわからないことを言ってまで、そのしょうもないプライドとやらを守りたいと思っていることに俺は失望した。
結局俺はどこへ行っても一緒なんだ。前期のころにはまだ一線が引けていたと思う。俺とおまえらは別だという区別をしっかり自分の中で付けていた。いつかそれもなくなり、中学生のころから抱えていた将来への不安や焦りはだんだんと麻痺し、俺は自分でも気付かないうちに低偏差値大学生という役柄を見事に演じ切っていた。いつからこいつらは俺にとって大切な存在であることになっていたんだ?と俺は思った。俺はあの子が誰かのものになってほしくなかっただけだ。俺に彼女への好意があったわけではない。でも、だからこそ性質が悪い。俺は大学生を演じることが楽しくて暴走していた。そしてちょっとした問題が持ち上がったとき、今までの自分の言動に一気に興ざめした。どれも暇つぶしにはもってこいの、自分とはまったく関係のない世界で起こっている出来事だということに気付いた。もうやめだ、どうして俺は今までこんなやつらと飽きもせず付き合っていたのか、訳が分からなくなった。そう考えるとどいつもこいつも、嫌なところばかりが目につくようになった。あいつらは俺のやったことなんて何も理解してなかった。もちろん理解できるなんて思ってなかった。俺は見事に道化を演じた。迫真の演技。良く考えろよ。お前には関係ない。もともと違う世界で起きてた話さ。お前は変われないんだ、あの頃と。自分で気づけよ、知ってるだろ。
俺が長い間思い描いてきた大学生活はこんなレベルの低いものではない。俺はこのままじゃいけない。あいつらの小さな嘘、見栄、誇張、侮辱、思い上がりや開き直りにはもううんざりだ。そう思うとやつらの言動、思考力、さらには服、靴、趣味、髪型や化粧、匂いに至るまで全てのものに嫌悪を感じるようになった。俺はこんなところにいるべき人間ではないのだ。じゃあなぜここにいるか考えろよ、お前だってあいつらと一緒さ。できないのは勉強だけだなんてただのいいわけだ。お前は今お前のいるべき環境で、お前が遭遇すべき問題に直面しているに過ぎない。大学ごっこはお終いだ。
どうして彼らは自分の限界を見ようとしないのか。なぜ不安定な若さを孕んだ己という存在を無条件に信頼して生きることができるのか。利己的、打算的、快楽主義。もう誰にもがっかりしたくない。誰もがっかりさせたくない。
髪を切った。
今日は朝7時30分に起きて歩いて1限の授業に向かうはずだった。朝8時にようやくアラームの音が耳に届いた。最初、それはアラームの音に聞こえなかったが、しばらくたってこの時計は俺を起こそうとしているんだということに気付いた。しかし、そんな目覚まし時計の必死の呼びかけもむなしく、俺は沼のような夢の中に引きづり込まれた。
目を覚ますとやつの短針は11時を指していた。1時に美容院を予約している。昨日、たまたま通りかかった美容院に立ち寄った。入口には去年のHIDEメモリアルコンサートの色あせたポスターが貼ってあって、入ったすぐの備え付けの椅子にはヘッドにHISTLYと書かれたアコギが置いてあった。男の店員さんも長髪だったし、ここなら大丈夫だろうと思って予約してきた。昨日インターネットのヘアカタログでいろいろと見てみたがどれもしっくりくるものがなかったので、何も持たずに行くことにした。外は嫌になるくらいいい天気で、これ以上日差しを浴びて肌を荒れさせたくなかったので、サングラスにニットというジョーサトスタイルで出かけることになった。髪型もいっそのことジョーサトやビリーコーガンのようにしてしまおうかと思った。とにかく短くなれば何でもいい。
携帯に着信があったので、レッドバロンかとおもいかけ直してみると、電話の相手はまたあのすっとぼけファッキンビッチだった。やつは人の話を全く聞こうとせず、受話器の向こうでひたすら村上さんを呼び続けていたので紳士に対応してやった。できれば2度とかけてくるなと罵声の1つや2つ浴びせてやりたかったが、俺はもうそんな言葉を吐くには年をとり過ぎていた。
店に着くと、まだ1人お客さんが残っていたので、荷物を置いて駅で時間をつぶした。こんな時タバコがあれば時間はすぐに経ってくれるものだが、あいにく持ち合わせていなかった。15分ほど1人考えにふけった後、名前を呼ばれて中に入った。お店は男性の店員が1人でやっている小さなところだったが、雰囲気がすごく良くてすぐに気に入った。鏡の前に座ってしばらく店員と話をすると、彼がロックミュージックが好きだということがすぐに分かった。ロッカーにとって髪型がいかに大切なものであるかを良く理解していた彼は、俺の要望の理解も早かった。我々は髪を切る間ずっと70年代から80年代のハードロックやヘヴィメタルについて話し続けた。ハードロック全盛期のころから仲間とバンドを組んでいたが、ウェーブが去り、あまり好き勝手していられない年齢になったころバンドをやめた。残ったメンバーは今でもプロを目指して活動しているそうだ。そんな彼にはBIGな夢があるそうだ。東京に自分の美容院を持ち、その隣でROCKが一日中楽しめるおしゃれなカフェを経営したいというものだ。散髪をしてからゆっくりお茶をのみながら音楽を楽しむもよし、お茶のついでに散髪を済ませるもよしという今までにない画期的な店じゃないかなと彼は目を輝かせながら語った。要するにHARD ROCK CAFFに美容院をくっつけたようなお店がやりたいんですねとは言えなかった。でもまあ、いい人だった。マイケルシェンカーとジョンサイクスをまともに知ってる人と話ができたことが俺は何よりうれしかった。
以上