【考察】勉強ができない理由

考察
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2016.3.17

俺はなぜ勉強ができないか?誰よりも長い間取り組んでいるはずなのに、誰よりも勉強ができない。勉強時間のみを抽出すれば、確実に合格基準には到達しているはずである。理解力は人並みにあるはずだし、頭の回転は人より弱冠劣るが会計士試験に合格できないほどに致命的なものではない。

勝ちに不思議の勝ちあり負けに不思議の負けなし。敵を知り己を知れば百戦危うからず。すなわち目標対象と自己の理解があらゆる戦いにおいて重要であり、これを怠ることは敗北の原因と直結する。勉強する上で俺に足りないものは何か、なぜ俺は勉強ができないのか。5年間これを考え続けた。ことあるごとに考えを巡らせた。気づいた点は可視化し実行に移した。効果の出たものは少なかったし、故に長くは続かなかった。しかしこの半年間強制的に勉強へ拘束されたによって、今までにない根本的かつ具体的問題点が浮かび上がってきた。以外それをまとめる。

①読んでるだけ

会計士の勉強をしている時、俺の脳は閉じている。この命題こそこの5年間の最大の悩みの種であったと言えよう。俺の脳はとにかく興味関心のないものを執拗に拒絶する。情報の吸収を完全にシャットアウトしてしまうのだ。故に恐ろしく勉強効率が悪い。通常ならば何の苦もなく理解できるはずの文章が、何度も読んでも全く理解できなくなる。これは完全に異常だ。
この問題についての明確な原因は既に見えている。読んでいるようで脳は全く別の働きをしているからだ。小説を読んでいる時もたびたびこの現象が発動する。二ページほど読み終えてから何一つ頭に入ってないことに気がつく。フィリップマーロウの探偵活劇を読みながら大坂人にとってのたこ焼きについて考え、譲渡承認請求要件を読みながら昼下がりの中学校の校庭について思いを巡らせている(以外この事象をリバイバルとする)。そしてその事に気がつくまでにとても時間がかかる。この問題を解決すべく「対象にどれくらいの興味がある場合に、どれくらいの時間でリバイバルが発生するのか」を検証するに努めたが、結果は失敗に終わった。具体的に言えば、対象への興味関心度合を10段階で評価し、リバイバル発生までの時間を計測することでこれをコントロールしようと考えたのだ。しかしどこで切り替わったのかが全くわからなかった。ごくごく自然に、無意識に、なんの悪意もなくリバイバルは生じる。これが夢想家を自称する所以である。
何かにフォーカスしている時間だけ、俺は考えることをやめる。頭は四六時中休むことなく新しく刺激的な題材を求めて活動し続けている。何かについて考えていなければ気がすまない性分なのだ。それも恐ろしく偏った嗜好に適合する話題についてだ。もちろん会計士試験についての話題はその対象からは除外される。俺に興味があるのはそのプロセスと方法論についてのみである。

②思い出さない

これは①の問題点の延長に位置する。俺は会計士試験について勉強したことを、基本的に思い出すということがない。そんなことを思い出してもつまらないからだ。常に何かを考えたり、思い起こしたり、想像したりしながら日々を過ごしているのに、既読の学習論点について思い出すということは皆無だ。
思うに、勉強ができる人はこの「思いだす」という作業をうまく習慣化できている。1度読んだら忘れないという人間は稀だし、それほど高い記憶力を要求する資格試験は恐らく日本には存在しない。一般的に人は記憶力を、回想することによって維持している。それも忘却曲線を意識した上で行うことができればより効果的だ。
勉強のことだけに集中できる人間は早々に受験勉強から抜け出すことができる。つまり四六時中勉強のことだけを考え、常に何かを思い起こす作業をしていれば記憶力を維持しやすいのだ。これが俺には全くない。勉強内容のことなんて考えたくもない。つまらないから!会計士試験の勉強なんてクソ喰らえという俺の潜在意識が、隙あらば意識を勉強から遠ざけようとしているのだ。何度も言うが、ごくごく自然で、無意識で、そこに悪意はない。
同じ教室の仲間が帰路に引当金の設定条件を思い出している時に、俺はたこやきや校庭のことを考えている。どちらがより早く合格するかは想像に容易い。俺がどんなに熱心にたこやきと校庭について記述したところで、それは点数にはならない。
この問題の発見は俺にとって、自己のパーソナリティーを理解する上での新鮮なひらめきとなった。俺は日々過去を回想することで、色彩のある思い出を病的なまでに自己の内に留めることを望んでいる。それは習慣的に日記として記録するという習性が如実に示している。思い起こせば小学生の時は暇を見つけては妄想に耽ったものだ。高校生になってもその習慣は根本的には変わらなかった。ありがたいことにこれがよい意味で今の自分の想像力の源になってはいる。退屈な学生生活を埋めるための疑似恋愛の対象はいつも彼女だったし、そのために恋愛観や人生観すら拗らせる事態にまで陥ったが、今思えばそこに深い意味や思い入れはない。自己愛を含んだ郷愁と感傷に基づく追憶、漠然とした憧憬と純粋理性に基づく未来への夢想。これは己の自我に内在する宿命的なBad habitなのだ。

③感情的先入観

これは①②の根底に位置する問題点である。勉強を始める前に思うこと、勉強したくない。問題に手をつける前に思うこと、やればできるんだろうけどめんどくさい。問題を解いてる最中に思うこと、だからなに?(So what?)。俺の頭の中では常に言葉が渦を巻いている。その言葉は時に理性的であり、時に酷く感情的でもある。個人的な感覚でいえば前者はポジティブで、後者はネガティブだ。
会計士試験の勉強という行為を前にすると、俺の思考は手が付けられないくらいに幼稚で感情的になる。机をひっくり返して雄叫びをあげたくなる。人間である以上、目標対象に感情が芽生えてしまうことは仕方のないことだ。しかし理性的に言えばラディカルな人間存在としてのポジションは、クオリアの地平線上に湧き立つ感情をただ即物的に認識するという位置にあるべきなのだ。
やる気がなくても勉強はできる。その意味で動機とは行為を根本から支配するものではない。動機がなくても行為することはできる。この逆説的リーガルマインドともいえるスタンスは、俺が勉強する上で大きな力となるだろう。

まとめ

読んでも理解できないのは、意識的に理解しようとしているにも関わらず、無意識がそれを理解する気が全くないからだ。勉強内容を回想しないのも、無意識的に意識を勉強から遠ざけようとしているからだ。この問題の根底にあるのが、「俺はこの勉強が嫌い」という偏固な潜在的感情だ。この感情を即物的に認識許容することで抑制し、かつ意識的に感情を抑制した状態で勉強に挑み、折に触れて勉強内容を回想することが、俺を合格へと導く指標となるだろう。

以上がこの半年で発見した、俺が勉強できない理由の暫定的な根本原因である。
より具体的な解決策はまた後に記すこととする。

以上

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この記事を書いた人

平成生まれのアラウンド・サーティーです。30歳を迎えるにあたって何かを変えなければという焦りからブログをはじめました。このブログを通じてこれまでの経験や学びを整理し、自己理解を深めたいと思っています。お気軽にコメントいただけますと励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。

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