クレイトン・クリステンセン著「イノベーション・オブ・ライフ」原題「How will you measure your life ?」を読んだ。この本は私の20代を象徴する一作になることは間違いないだろう。彼は世界最高の学歴と言われるハーバードビジネススクールを卒業後、ボストンコンサルティンググループ、会社経営を経て、再びハーバードビジネススクールへ戻り教鞭を執った。晩年は病に倒れ、先月、2020年1月に67年の人生に幕を閉じた。世界で最も明晰な頭脳を持つ男の生き様をメモしておこうと思う。
第1章幸せなキャリアを歩む
夢を見るために目覚める
毎朝、自分のやっていることをやれる幸せを噛みしめながら目覚めるのだ。そんな仕事を見つけるための戦略を考えていこう。
第1講 翼があるからと言って
「朝起きて、3日連続で会社に行きたくないと感じたら、その仕事を辞めるべきだ」アップル創業者スティーブ・ジョブスも言っていた。理想論かもしれないが、やはりあるべき姿は「夢を見るために目覚める」(村上春樹)ことにあるのだとしみじみ思う。一朝一夕には手に入れられないが、目指さなければ到達できない。誰かにできることなのであれば、やはり私もそこを目指したいと心から思う。
真の動機づけとは?
誘因は動機付けとは違う。真の動機付けとは、人に本心から何かをしたいと思わせることだ。この種の動機付けは、好不況に関係なく持続する。
第2講 私たちを動かすもの
真の動機づけを見付ける最も効果的な方法は「無償でもやるのか?」と自問することである。今の私が無償で行っている、継続している、好きでやっていることは何か? そこに「真の動機」のヒントがあるはずだ。
「仕事に不満がある」の反対は、「仕事に満足している」ではない。仕事に不満がないからと言って、その仕事が真の動機づけから導かれたものであるわけではない。
問題が起きるのは、金銭がどの要素よりも優先されるとき、つまり衛生要因は満たされているのに、さらに多くの金銭を得ることだけが目的になる時だ。~中略~金銭をもたらすものと幸せのもたらすものの違いを、私達は怖いほどあっけなく見失ってしまう。
第2講 私たちを動かすもの
金銭が幸せをもたらすわけではない。衛生要因を上回るの金銭を望むことは、家庭という幸せを犠牲にすることになる。人の持つリソーセスには限りがある。どこかが突出すれば、どこかが手薄になるはずだ。
彼らを動機付けていたのは、自分たちの家を手に入れたいという願いではなかった。家を建てるという行為と、自分がそれに貢献しているという自覚が、満足感を与えたのだ。
第2講 私たちを動かすもの
幸福感や満足感、つまり「効用」は必ずしも目的の達成によって得られるものではない。目的達成の手段や過程にも「効用」を最大化させる要因が潜んでいることを忘れてはいけない。
幸せとは何か?
本当の幸せを見つける秘策は、自分にとって有意義だと思える機会を常に求め続けることにある。
第2講 私たちを動かすもの
私の幸福論とも一致する。より有意義な機会を求め日々邁進しよう。
衛生要因はある一定水準を超えると、仕事での幸せを生み出す要因ではなく、幸せがもたらす副産物に過ぎなくなる。~中略~この仕事は、自分にとって意味があるだろうか?
第2講 私たちを動かすもの
その仕事をの私は楽しいと思えるだろうか? 自分の目的と整合しているだろうか? 自分の優先事項を守れるだろうか? それらの問いにすべて疑いなく「Yes」と回答できる人は、きっと幸福だろう。働くこと自体が幸福であり、これまで執着していた「お金」という目的がただの副産物となったら、私はきっとこれまでにない喜びと幸福に包まれるだろう。
トライ・アンド・エラーを素早く繰り返す
・衛生要因と動機要因を満たすキャリアがまだ見つかっていない人は、創発的戦略をとる必要がある。一つ一つの経験から学びつつ、戦略を修正していく。これを素早く繰り返すのだ。これと思う仕事が見つかるまで続けよう。
第3講 計算と幸運のバランス
以下、本項でのメモ
- 周到に練られた計画は特定の状況でしか機能しない
- 失敗の原因は、予測や決定に際して重要な前提のどれかが誤っているからである
- 目標を掲げたのならば、その目標達成にどのような前提が隠れているかを洗い出す(誰に何をやってもらう? 何を提供してもらう? どんな環境が必要?)
- 成功のためには、どんな仮定の正しさが証明されなくてはならないか?
- 今の仕事で自分が幸せになるには、どんな仮定が立証されなくてはならないか?
- なぜこの仕事を楽しめると思うのか?どんな根拠があるのか?
成功できるかどうかは、有効な手法を見つけるまで試行錯誤を続けられるかどうかにかかっている。
第3講 計算と幸運のバランス
あきらめずに続ければ、成功できる確率は上がっていく(有効でない方法を学ぶため)。成功に必要なのは「諦めず継続すること」と「ノウハウを蓄積すること」である。
第2章 幸せな関係を築く
余力を残して方向転換する
成功できたのは、当初の戦略が失敗した後もまだ資金が残っていたために、方向転換して別の手法を試すことができたからだ。当初の戦略は、間違っていることが多いのだ。~中略~近道をしようとする企業は、ほぼ必ず失敗する。
第5講 時を刻み続ける時計
もっと早く出会いたかった言葉だ。方向転換するなら傷が浅いうちの方がいい。こんなたとえ話がある。太平洋の真ん中で船が遭難した。間違った方向に向かって進むくらいなら、何もせずに動かずいる方がいい。無駄に動いて燃料を消耗したら、正しい方向が分かった時に動けなくなってしまうからだ。急がば回れ、企業にもブログにも同じことが言える。
Job to be done(片付けるべき用事)は何か?
難しいのは、自分がその中で担うべき役割を理解することだ。自分の一番大切な人たちが何を大切に思っているのかを理解するには、彼らとの関係を、片付けるべき用事の観点からとらえるのが一番だ。
第6講 そのミルクシェイクは何のために雇ったのか?
経営不振の続くとあるコーヒーチェーン店での話。コンサルタントがコーヒー店の一日の売上を分析すると、売上は朝に集中していたという。なぜ客は朝コーヒーを買うのか? 出勤中の車内で朝食をとったり、渋滞中にコーヒーを飲みたいという「用事」があったからだ。つまり彼らは、その店のコーヒーを買うことが目的なのではなく、「通勤中の車内を快適にしたい」という用事を片付けるために店に立ち寄っているのだ。コーヒー店が次に打つべき策は、コーヒーをより旨くすることでも安くすることでもない、「通勤中の車内をより快適にするような何か」を新たに商品として提供することである。
自分の一番大切な人たちは何を大切に思っているだろう? そのためにどんな用事を片付けたいと考えているだろう? 妻や娘たちが私に片付けて欲しい用事は何だろう? そのために私はどのような優先順位で、どのような生活を送る必要があるだろう?
今の自分に、何が片付けられるのか?
能力は「資源」「プロセス」「優先事項」の三つの分類のいずれかに当てはまる。資源とは何かを行う手段、プロセスは方法、優先事項は動機にあたる。
第7講 子供たちをテセウスの船に乗せる
自分の持つ能力(「手段」「方法」「動機」)を鑑み、「できること」と「できないこと」を見極めよう。そのうち将来必要になるものはどれだろう? 重要性の高い能力はどれだろう? 伸ばすべき能力は? 切り捨ててもよいものは?
自分が片付けるべき用事に対して、または自分の大切な人が自分に片付けて欲しいと期待している用事に対して、今の自分の能力で片付けられるものは何だろう? 今の自分の持つ能力を理解し、現状に応じて能力を補強したり、他者に依頼するなどという選択が必要になるだろう。
子供たちが学ぶ準備ができた時、私たちがそばにいる必要がある。自分の行動を通して、子供たちに学んでほしい優先事項や価値観を示す必要がある。
第7講 子供たちをテセウスの船に乗せる
昔ある港町にテセウスという英雄がいた。テセウスの死後も、彼が乗った船は街の人々によって大切に保管、維持された。色が落ちればペンキを塗り直し、帆が破れれば新たに張り直し、穴が開けば新たな板を打ち付けた。そしてある日誰かが気づいた「もうこの船には、かつてテセウスが乗った時の部品は何一つ残されていない。それでもこの船はテセウスの船と言えるのだろうか?」
物事の「同一性」を問う異種の思考実験だが、子供にも同じことが言える。親が持つ能力には限りがある。誰もが偉大な教育者やトレーナーではない。子供の将来を思えば、より高度な専門家のもとに我が子を送り出したいと親は願うだろう。しかし、育児のすべてを外注してしまったら、果たして我が子は我が子と言えるのだろうか? 本当に大切な事は他でもない親が子供に直接教えてあげる必要がある。
アドバイスには適切な時期というのが存在する。その時期は人によって変わるし、早ければ良いというものでも、遅くてはいけないということはない。大切なのは、子供がそのアドバイスを欲しているタイミングで(学ぶ準備ができた時に)親がそれを教えてあげることだ。
この仕事は将来の自分を救うか?
この仕事は、私が将来立ち向かう必要のある経験をさせてくれるだろうか?
第8講 経験の学校
「将来立ち向かう必要のある経験」という観点から仕事をとらえると、仕事の意味ややりがいが大木きく変わって見える。この仕事は将来何の役に立つのか? 一見無意味な仕事にも、角度を変えればいろんなやりがいが見つかるかもしれない、逆に一見意味があるように見える仕事にも、本当は自分がやる必要なんてないようなものもあるかもしれない。
第9講 家庭内の見えざる手
文化とは、共有の目標に向かって力を合わせて取り組む方法である。その方法は極めて頻繁に用いられ極めて高い成果を生む。~中略~(文化形成のためには)まず初めに、繰り返し生じる問題を明らかにする。次にこの問題を解決する方法を社内の集団に考案させる。それを何度も繰り返す。どんな組織の文化も、繰り返しを通じて形成される。
第9講 家庭内の見えざる手
文化は望むと望まざるとにかかわらず、すべての集団で生まれるという。生まれる過程に、どれだけ積極的に影響を与えようとするかで、その形は大きく変わる。我々がが行うすべての活動について、それが繰り返されたらどうなるかを考えてみれば、それが集団にとって良い文化を形成するかそうではないかがわかる。そのように繰り返し問題の解決に取り組むうちに、規範が出来上がっていく。
やり方に関する選択に直面した時、文化が求めるどのような意思決定を下しただろうか。その決定がもたらした結果は、文化に即していただろうか。~中略~私たち夫婦は一貫した姿勢を貫くように心がけた。私たちの意図を理解させるよう、心を配った。彼らが誇りを感じることができる手助けをする。
第9講 家庭内の見えざる手
子供には一貫した態度を心がけよう。いや子供だけにではない、一貫した態度が、その人と周囲との信頼を培うのだ。人によって態度を変えない、状況に応じて発言を変えない。時に方向修正は必要だ。しかし周囲からの信頼を勝ち得るにはまず、自分の中に明確な規範を持ち、それを貫くことが必要だ。
第3章 罪人にならない
守るべき物は何か?
どうすれば既存事業を守れるだろう? と考えるべきではなかった。もし既存事業がなかったとしたら、新規事業を構築する一番良い方法はどれだろう?
限界利益を無視すれば初期費用は掛かるが、将来に必要な新しい力を得られたはずだった。
第10講 この一度だけ…
競争が存在する場合、既存産業の活用を進めると競争力を失う。投資をしないことの代償を把握することはできない。しかし限界(利益)的思考は、ほかのすべての条件が、これからも永遠に変わらないと仮定して初めて成り立つ考え方である。
自分が育てたもの、培ったものを守ることも大切だが、「自分」が保てなくなっては元も子もない。自分が守ろうとしているものは本当に今守るべき物なのか? それがなかったとしても最善案は変わらないのか?
終講
How will you measure your life ?
自画像(人生の節目に思い描く自分の理想像)に対して、ほとんど信仰といえるような深い「献身」を捧げる。それらを図る一つまたは少数の「尺度」をもつこと。人生を評価する尺度を理解すること。
私が手助けできた、一人一人の人間が、私の尺度である。
イノベーション・オブ・ライフ
「人に接するとき、その人があるべき姿のように接しなさい。その人が本来なれる姿になるのを手伝うことができる」ゲーテの言葉
おわり