22「明日、雨が止んだら、出かけよう」

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2018年6月「明日、雨が止んだら、出かけよう」

水滴が伝う窓ガラス越しに六月の雨雲を見ながら、僕は妻の誕生日に渡す手紙の内容について考えていた。

僕たちは昨年の七月に入籍し、今年の三月にささやかな結婚式を挙げた。結婚式の最後に僕は、サプライズのつもりで妻に当てた手紙を読んだ。ところが僕は、結婚式の後に渡そうと思っていたその手紙を、新婚旅行や引越などのイベントの間にすっかりどこかへ無くしてしまったのだ。

その手紙の内容を気に入ってくれていた彼女が改めて文面で読みたいというので、誕生日のプレゼントに添えて渡すことにした。

僕は過去に書いたはずの文章を一つ一つ思い出しながら紙にペンを走らせた。考えて書いた文章だから、思いのほか執筆は捗った。

部屋にこもり一人手紙を書く僕に気づいた妻が「何してるの?」といって部屋に入ってきた。

僕は慌てて手紙を隠し、「日記を書いてたんだよ」と言った。

「何か隠し事してるでしょ?」と、彼女は目を細めて僕を問いただす。

「日記なんだから、他人には読まれたくないだろ?今日も天気が悪いね」と僕は話を逸らし、妻を部屋から連れ出す。

杏からは今でも時々連絡がくる。製薬会社に入社した彼女は、自ら希望して念願の京都配属となった。連絡の内容は主に近況報告や相談事だ。

京大の大学院で哲学を専攻する彼氏のお家騒動に巻き込まれそうになったとか、毎日が忙しすぎて楽しむ余裕がないとか、職場の上司がキモすぎるとか、そういった話だ。

彼女と別れてしまった後でも、僕たちはこうして定期的に連絡を取り合った。もう三年近く会ってないが、今でも仲良くできているところを見ると、あの頃の自分の苦悩や試みは誤っていなかったのかもしれないと思える。

志帆とはもう二年以上連絡すら取っていない。今彼女がどこで何をしているのか、全くわからない。連絡先は生きているため、聞けば教えてくれるのだろうが、僕から連絡することができなかった。

妻と同棲を始めた時、入籍した時、結婚式を挙げた時、僕から連絡するべきタイミングはいくらでもあった。実際に僕は志帆宛てのメッセージを作成したにも関わらず、なぜかそれを送信することができなかった。

不思議なもので、妻と同棲を初めてから、僕は今でも二ヶ月に一回くらいの頻度で志帆の夢を見る。僕は夢の中で、彼女からの適切な助言を待ち望んでいる。僕は彼女に向けて意見をぶつけ、彼女はそれを咀嚼し、彼女の言葉で打ち返してくれる。

妻と結婚してから、僕は独りで映画を見ることが多くなった。読んだ小説の感想を言葉にすることがなくなった。出会った名曲の感動を誰かに伝えるということがなくなった。

僕は、つまらない大人になった。

「小学生の頃、奈保子が僕に電話をかけてくれたその日から、奈保子はずっと、片時も離れることなく僕の心の中にいました。

中学校を卒業し、別々の道を歩み始めた後、奈保子に会えず、連絡さえ取れなくなった数年間でも、奈保子の存在はずっと僕の心を暖め続けてくれました。

奈保子がこの世界のどこかにいると思うだけで、僕はいつも奈保子に元気をもらっていました。

そんな風に、ずっと好きでいられる人を見つけられたことは、僕の人生最高の幸せでした。

奈保子にあえない時期が数年間続いたある日、僕たちは再会しました。
奈保子は変わることなく、僕にとってこの世界で最も美しく、しそて愛らしい女性でした。

この時僕は気づきました。僕、免色歩の存在は、この子なしでは成立し得ないと。彼女の存在はもはや僕の一部なのだと。

もう二度と僕は奈保子を見失いたくないと強く思いました。

そして、集まってくれた大切な家族、友人の前で、素晴らしい結婚式ができたことは、僕の人生の誇りです。

いつも大袈裟なことばかりいって友人を呆れさせる僕ですが、奈保子への思いがどれほど大きなものかは、あの日集まってくれた僕の友人達が一番よくわかってくれているとおもいます。

結婚式の打ち合わせの時に、ウエディングプランナーの方に聞かれたことがあります。「あなたにとって、奥様はどんな存在ですか?」

思えば僕は、彼女を好きになったそのときから、今までずっとそのことを、ことあるごとに考え続けてきました。

僕にとって彼女はどんな存在か、その答えはまだ見つかっていません。

一生かけて、私が考え続けなければならない命題だと思います。

ただ、今この場で暫定的に答えを述べるのであれば、彼女は僕にとって、心に思うだけで僕を幸せな気持ちにしてくれる人です。

僕は昔から、奈保子のことを考えるのが本当に楽しかった。友人に奈保子の話を聞いてもらうのが本当に楽しかったです。

今まで出会ったすべてのラブソングと、すべてのラブストーリーは僕にとって奈保子のためにだけにありました。

奈保子は僕の青春の全てで、奈保子は僕の人生の宝物です。

この熱狂的な奈保子への情熱を、これから先、奈保子を包める大きな愛情に二人で育ててゆきたいです。

そしてこれから先、もっと大きな夢に向かって、奈保子と共に歩んでゆきたいです」

「このところずっと雨だね」森林公園の上を流れていく雨雲をぼんやり見ながら、奈保子はつぶやくように言った。

「天気予報だと、明日は午後から晴れるみたいだよ」と、僕は彼女の腰に手を回して言った。

「じゃあ久しぶりにどこかドライブでも行かない? 海とか!」晴れることがよほど嬉しかったのか、奈保子は愛らしく弾ける笑顔でそう言った。

「そうだね。明日、雨が止んだら出かけよう」僕は通り過ぎて行く雨雲を見ながらそう言うと、奈保子が笑った。

「なんだか小説のタイトルみたいだね。『明日、雨が止んだら、出かけよう』」奈保子は僕をちゃかすように言った。

「『明日、雨が止んだら、出かけよう』か。どんな小説なんだろうね」

「アユム君が私に恋をして、結婚するまでの話なの。ドラマ化して、映画化されて、みんなが『あすあめ』とか言って略すのよ」奈保子は嬉しそうにそう言った。

「それは長い話になりそうだね」と僕は言った。

それは長い話になりそうだ。

おわり

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この記事を書いた人

平成生まれのアラウンド・サーティーです。30歳を迎えるにあたって何かを変えなければという焦りからブログをはじめました。このブログを通じてこれまでの経験や学びを整理し、自己理解を深めたいと思っています。お気軽にコメントいただけますと励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。

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