10「志帆の話①」

虚構
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2009年9月「志帆の話①」

ニューヨークへの三週間の短期留学から帰国したその日の夜、僕は興奮と時差ぼけで上手く寝付くことが出来ず、バイクに乗って早朝に家を出た。一通り峠を満喫した後、八月の暑さのせいか目眩を覚えた僕は、近所の公園のベンチで寝そべりながらタバコを吸って半日をつぶした。

三ヶ月ぶりに地元に帰省した僕は、毎日のように友人と遊び呆けた。生まれ故郷を三ヶ月も離れるという経験が当然なかった僕は、自分がいない間に地元がすっかり変わってしまったかのような錯覚に陥った。そしてその錯覚をひけらかすように酒を飲んだ。

九月のある日、カオルやイチロウといったメンバーで川へ遊びに行った。当時車を手にしたばかりの僕たちは無限に遊ぶことができた。帰り道、カオルの運転する日産ティーダの助手席で田舎の風に当たっていると、カオルが思い出したように言った。

「そういえば先週志帆ちゃんから連絡があって今日飲みに行くんだけど、アユムも来る?」

志帆といえば、中学生のころ奈保子と同じクラスで、ローリーと仲が良かった子だ。当時中学生離れした垢抜けた容姿を持つ志帆は、学年一モテる女の子だった。簡単にいえば彼女は学校のアイドル的存在で、年上からも年下からも男女問わず人気がある子だった。

個人的にはそれほど交流があった訳ではないが、僕はこれといった用事もなかったので、その場で「いいよ」と返事をした。

カオルと僕は後部座席で眠ってしまったイチロウを家まで送り届けてから、別の友人と先に食事をしている志帆を街まで迎えに行った。店の前でしばらく待っていると志帆が出てきた。

「カオル君久し振り、アユムも一緒なんだ」

カオルに「君」をつけるのに、ほぼ話したことのない僕を呼び捨てにする彼女に違和感を覚えた。

僕たちは簡単に挨拶を交わして国道沿いの居酒屋へ向かった。彼女は太くよく通る声で、まるで舞台女優のようにハキハキ喋った。店に入るとビールで乾杯し、それから各々の近況を報告した。

大学受験で満足いく結果が得られなかった志帆は、一浪して予備校に通っていた。カオルは四月から働き出した工場での笑い話を一通り披露し、僕はS市で大学生をしていると言った。「なんでS市に?」と志帆から聞かれたが、「国際ジャーナリストになりたくてさ」と適当に返事をしておいた。

志帆は音楽が好きだった。高校の頃カオルとバンドを組んでいた僕は、ライブハウスで何度か志帆と顔を合わせる事があった。会話は自然と音楽の話になった。

「三年の文化祭でガンズとかヴァン・ヘイレンとかやったんでしょ?私めっちゃ行きたかったんだけどさ、ちょうど志望校のオープンキャンパスと重なっちゃって行けなかったんだよね。動画とか残ってないの?」と志保が言った。

「動画は俺しか持ってないよ。機会があったら見せてあげるよ。それより、よく知ってるね」と僕は言った。

「そりゃアユムがギター弾くって言うから僕が連絡したんだよ。志帆ちゃんにはアユムの情報は漏れなく連絡してたからね」とカオルが笑いながら言った。

「なんだそれ?そんな話聞いたことないけど」と僕は驚いて尋ねた。

「私実は、歩のストーカーをしてたの」と志帆がにやにやしながら言った。

僕は言葉の意味がよく理解できなかった。冗談にしてもそれほど面白くはないし、そもそも彼女はその手の冗談を言わない子だ。

「どういうこと?」と僕が二人の顔を交互に見ながら聞いた。

「中学校の入学式の時から、私はあなたを監視してたの」と志帆は言った。

「なんで?」

「なんでって、カッコいいと思ったからよ。ほかに理由なんてある?」

「友達みんなから写真を集めたり、下校途中のアユムの後をつけたりしてたのさ。気づかなかったのか?」とカオルが言った。

「全く気づかなかったよ。冗談だろ?」

「アユム君は自分で思ってるより沢山の女の子を知らないうちに傷つけているんだよ」とカオルが妙に澄まして茶化すように言った。

「アユムは私にとってのアイドルなの。だからほとんど喋った事もないのに呼び捨てなのよ。この呼び方に自分で慣れちゃってるから。気を悪くしないでね」

「志帆にストーカーされていたと言われても悪い気はしないけど、なんだか全然ピンとこないな」と僕は言った。

それからも会話は途切れることなく盛り上がった。

志帆とこれほど長時間話をしたことはなかったし、彼女の顔をここまでよく見たことはなかった。だから見れば見るほど、彼女が誰だかわからなくなるという錯覚に陥った。この人はいったい誰で、なぜ僕とカオルはこの人の事を知っていて、なぜ共通の話題をもって今ここにいるのだろうと思った。過去に深く関わることのなかった友達や知り合いを凝視したり長い間話をしたりすると、いつもこんな感覚に陥る。その人物の全体性が失われて、目の前にいる肉体という構成部分のみが奇妙に強調されたような認識に陥る。

彼女には彼女のルールがあって、それに忠実に生きているように思えた。一年前の自分を見ているようで少し身体がむず痒くなった。

会話が一段落した後、ハイボールを飲み干してから満足そうに微笑んだ志帆は、もっと僕の話を聞きたいから家まで送ってくれと言った。気がつくと時刻は十二時を回っている。

「いいけど、家はどこだっけ?」と僕は聞いた。

「今、M市に住んでるの。高速で一時間位かな」と言って志帆は笑った。

M市なら美和さんも住んでるし、眠くなったら泊まらせてもらえばいいかと思って僕は往復二時間の足役を引き受けた。それにこの志帆という人間を僕ももっと知ってみたくなったのだ。

カオルは翌日の仕事のため、僕と志帆を僕の家まで送り届けてから帰って行った。

車に乗り込み、彼女にiPodを渡したが、M市に到着するまで結局一度も音楽をかけることはなかった。僕は深夜の高速道路を運転しながら、絶え間なく投げかけられる志帆からの質問に答え続けた。

好きな音楽のジャンルは? 好きなアーティストは? 好きなアルバムは? 好きな曲は?

好きな作家は? 好きな小説は? 好きな映画は? 好きな俳優は?

僕はすべての質問に必ず理由を添えて回答した。そして同じ質問を彼女へも投げ返した。  

結局片道一時間では質問は終わらず、僕たちはコンビニの駐車場で夜が明けるまで話をしてから、僕は彼女を家まで送り届けた。僕はコンビニで週間連載の漫画を読んで、サービスエリアでしばらく寝てから家に帰った。

うちに帰って寝てしまうと、目を覚ました頃には外は暗くなっていた。もう一度寝ようと思ったが、僕の脳は本当に単純で、もう志帆のことしか考えられなくなっていた。

僕の中で志帆のイメージはずっと同学年男子のアイドルで、自分とは縁がない女の子だと思っていた。話した事もないのに名前だけはよく聞いたし、初めて見た時から大人びた美人だなと思っていた。そんな違う世界の人間だと思っていた人にずっと見られていたと思うととても不思議な気分だった。見方によっては変態と呼ぶこともできる、条件付きの人並み外れた好意をこの僕に抱いていてくれるような人間がこの世にいたんだ、と僕は感心した。

予てより良き理解者を求めていた僕は、彼女の人並みはずれた僕への好奇心で、その欲求を満たすことができないかと考えた。そしてそんな下心が、もしこの人を逃したら、という不安と、もしかしたらこの人が、という期待を膨らませていた。このまま勝手に突き進めば彼女を本気で好きになることはとても簡単だったが、今は一歩引いて目の前にある可能性を楽しむことにした。

志帆からのメールに返事を送ると、美和さんから電話がかかってきた。翌日時間があったらどこかへドライブに連れて行って欲しいと頼まれたが、明日は用事があるから、また都合の良いときに連絡すると言って電話を切った。そして再びあの不思議な感覚に陥った。この子はいったい誰だろう?

そしてなぜかすごく悲しい気持ちになった。そんな漠然とした気持ちを抱えながら、僕はベッドに横になってまだ育ちきることのない月を見ていた。あの子に嘘をついたのは初めてかもしれない。

おわり

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この記事を書いた人

平成生まれのアラウンド・サーティーです。30歳を迎えるにあたって何かを変えなければという焦りからブログをはじめました。このブログを通じてこれまでの経験や学びを整理し、自己理解を深めたいと思っています。お気軽にコメントいただけますと励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。

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