七月上旬、念願のZZRを二年ローンで購入した。文化祭ではTIME AFTER TIMEを演奏し、徹夜でテスト勉強もした。家の近くで大火事があったり、Uさんと電話としたり、筑摩さんとキャンプにいく約束をしたり、Tさんとの約束をすっぽかしたり、サークルメンバーで熱海に花火を見に行ったり。ゴールデンウィークにはGちゃんとツーリングにいったし、ZとRとで山さんのお見舞いに行ったりした。そんな大学二年の前期が終わった。
夏休み初日、俺はなぜか寝付くことができず、一睡もしないままバイクで伊豆へ向かった。なれないバイクと進行を深めるため、テスト勉強で溜まりに溜まったバイクに乗りたいという衝動を解消するために。峠をいくつか攻めたがアプリリアとはまるでパワーが違う。車体が重く立ち上がりは遅いしステップはするが、それでもずっと乗りたいと思い続けてきたバイクと走るのは幸せだった。そのまま伊豆を南下し、温泉に入って馬鹿みたいに暑い炎天下の中下田まで走り、死ぬと思って引き返した。アパートに着くと自転車で飲むものを買いに行き、公園のベンチで寝そべってタバコを吸った。小学生が三人でサッカ-をしていた。
その数日後、HとM3でバーにいった。俺は前に食前酒ということを教わったマティーニを一杯目に飲んで、早くも酔っ払った。三人でピザを食べてから下の焼肉屋へ行ってビールを飲んだ。M3はそのまま帰って、俺はHの家に泊まった。もうこの部屋で寝ることは無いだろう、そう思いながら。朝になってタバコを何本か吸って適当に会話をした後俺は家に帰った。それが大学二年目にしてやっと見つけた話し相手との半年間の別れだった。Hはその後、半年間のインド留学へ行った。
5日には東京のバイト先に面接に行き、Yのアパートでの居候生活が始まった。11時ごろ飯を食って酒を飲みながらテレビを見たり、タバコを吸いながら大学の話や中学の頃の話をしたりした。3時か4時ごろ眠りについて翌日の夕方ごろまで寝る、そんな生活を2、3日続けた。
ウーパーを運びに一度S市まで戻って、バイクに乗せて東京へ向かった。東京の道をバイクで走るのは初めてだった。何度も道を間違えて携帯で道を確認しながら3時間以上かけてやっとYの家についた。
二度目の面接で土曜日には八王子駅まで行った。その日は祭りがあるらしく、夕方なのに駅の周りは人で一杯だった。到着した市民会館は駅とは対照的で誰一人いなかった。三階の会議室に入るとすでに面接希望者が集まっていて、全員が俺と同世代だった。MISHという派遣会社の面接で、俺たちと大して歳の変わらない説明係の姉ちゃんが胡散臭い企業説明を始めた。やれ靴を買えだのズボンを買えだのまるで悪徳商法だった。その訓練されつくした巧みな説明は俺に「ともだちランド」のインストラクターを思い起こさせた。説明会が終わり、俺は外でタバコを吸った。
表の道は車でひしめき合っていて、皆がセカセカと忙しい日々を送っているみたいだった。車を運転している人間が皆イライラしていように見えた。あんな大人になりたくない。そうやって何かにイライラしながら生きるために仕事をするなんて。そんな人間が馬鹿みたいに集まって成り立っているのがこの東京という街なのだ。俺はずっとそんな街にあこがれていたんだ。一体何に魅力を感じて?転入という選択は本当に間違っていないんだろうか。俺はどんな将来を望んでいるんだろう?俺は何を求めているんだろう?東京という街の人ごみに流されながら、一人で考え事をしているといつも腹の底から憂鬱になる。それがどんな類の憂鬱で、どんな類の孤独で、どんな類の悲恨なのか、今の俺の語彙力では何も表現することはできなかった。ただいつも、とても悲しい気分になる。この街は虚栄で満ちている。ただの僻みだ。
8日はバイト初日、日曜日だった。俺は一獲千金を狙ってYと東京競馬場に行った。東京ではレースはやってない。俺たちは競走馬の駆け抜けることのない空しいコースの向こうに見えるモニターを見ながら、携帯でオッズを確認したり、煙草を吸ったりカレーを食べたりしていた。結局この日は一つたりとも当たらなかった。「儲けは二人で分けよう」という協定を結んだおかげで俺はほとんどプラマイゼロだったが、帰り道の気分と言ったらそれはひどいものだった。二度とあんな風に競馬を見たくない。
バイトの話。夜中の11時ごろ家を出て、電車で味の素スタジアムまで向かった。乗り換えを間違えて初日にいきなり遅刻してしまったが、特にそのことについては触れられなかった。急いで飛田給駅の改札を抜け会談を降りると、駅前にはほとんど人がいなかった。もう行ってしまったのかとひやひやしたが、大きな荷物を持った4、5人の集団が待ち合わせの場所で待っている。急いで責任者らしき人に話をして出席を取った後、そのまま仕事場所へ向かって歩きだした。人数は俺を入れて5人しかいなかった。想像ではもっと大人数でぞろぞろ行くもんだと思っていた。深夜の東京を歩くその5人の姿は、まるでこれから人類の存亡をかけた戦いに行く影の英雄のようだった。途中で一人仲間が加わり、戦士が6人に増えた。
スタジアムに到着すると40人ほどいる同じような格好をした集団が入口のところで待機していた。てっきりこの集団と合流して仕事をするのかと思ったが、俺たちはそのまま裏口へまわった。トラックが縦列に駐車してある地下道を歩いて、スタッフ専用入り口みたいなところから現場へ潜入した。ロビーにそのまま荷物を置いて準備をしていると、トラックがやって来た。そのトラックに積んであるスタッフルームの備品を運ぶのが今回の仕事だ。時間は12時から5時まで、長い戦いが始まる。給料は深夜手当がついて6千円。
俺たちは11トントラックの荷台から下される備品をただひたすら運んだ。パイプ椅子や机やソファーや鏡やガラステーブル、次々とトラックがやってきてそれぞれ何セットも運んだ。一通り荷物を運び終わると、次はスタジアムのアリーナへまわされた。ついにここから本当の戦いが始まるのか、そう思いきやまたすぐに元の入口に戻されて、そこで休憩することになった。
バイトの人たちと適当に話をしていると、こういうバイトは早い時は何時間も早く終わることがあって、早く終わっても給料は予定分支払われるから、サクサク済ませたほうが得だ、みたいな話を聞いた。今日ももうすぐ終わるんじゃないかな、とのことだった。時計をつけていなかったから時間が確認できない。もう二時間半くらいは働いたんじゃないだろうか、タバコが吸いたい。そう思っていると集合がかかった。
「はい、じゃあMISHの人たちね、とりあえず片付いたから、また明日搬出のほうお願いします」といって終了してしまった。着替えて荷物をまとめて外に出る。リーダーが解散宣言をして、それぞれ今からどうやって帰るのかをいろいろ話し合って、戦士たちは帰路へと就いた。時刻は二時半、俺はどうやって帰ろう。とりあえず駅まで向かった。始発は5時、ファミレスに入って本でも読みながら時間をつぶそうか、しかし金がない。今はどんな物に使う金も惜しい。実際所持金は5百円ほどしかなかった。駅のホームで寝ようか、交番に行って泊めてくださいとでも言ってみようか、いろいろ考えたがとりあえず一服した。携帯で地図を調べると、Yのアパートまでは7キロほどだった。歩けない距離じゃない。電車代節約のために少し歩くか。マックで100円シェイクを買って、線路にそって歩き出した。
とりあえず多摩川を目指そう、それから橋を渡って京王線沿いに歩けばいいだろう。そう思って歩いた。深夜3時ということもあって大きな通りにも車は少なかった。ちょくちょく地図を確認しながら進行方向を確かめた。住宅地に入ると頭の悪そうな学生らしき男女二人がいちゃいちゃしながらアパートから出てきた。公園の横の階段を下りて川に向かう。
しばらく歩いて公園のベンチで寝そべりながら一服した。蚊が多くてあちこち刺された。公園の地面はアスファルトで舗装されていて、砂場というべき場所はほんの一畳ほどしかなかった。監視カメラがあちこちに設置されていて、気を抜いて一服することもできなかった。
少し歩くと都道19号線に出た。長い直線だ。橋の少し手前でHそっくりの人に会った。あいつに似た奴なんていくらでもいる。多摩川橋についた。川沿いの道はきれいに整備されていて、川の緩やかな曲線にそって並ぶ街頭が川を幻想的に照らしていた。橋の電灯がそのまま空まで伸びているように川に反射し、東京の闇に光の柱を作りだしていた。ここは姉のアパートに行くときよく通っていた橋じゃないかな、と思った。そのまま19号線をひたすら歩く。何度もジュースを買いたい衝動に駆られるが、今の所持金を考えると、とてもそれはできない。歩いているといくつか果樹園を見かけた。東京にも果樹園があるんだ。ナビを見ながら何度か進行方向を変えて稲城市役所の前を通った。
「稲城ってたしかJの住んでるとこだ。今から連絡して泊めてもらえないかな?起きてるわけないか。そういえば最近Jに会ってないな。今度誘ってYの家で麻雀でもしよう」
線路を見つけてそれに沿って歩く。ナビを頼りに坂を上ったり下ったりした。東京にもこんなところがあるんだな。途中ヒムカイなんとかとかいう丘の上にある住宅地を通りかかった。通りにはサッカーチームの旗が掲げてあって、気づけばもう夜が明けようとしていた。朝のジョギングをする人やバス停で始発を待つ人の姿が少しずつ増えていった。丘を下るとさらに上り坂があった。歩くのがめんどくさくなって走って上ることにした。ナビで確認したが、俺はとても遠回りをしていた。本来登らなくてもいいつらい坂道。引き返そうかと思ったが、そのまま走った。
坂を登り終えると、今度は何棟ものマンションビル群に出た。坂の途中にはゴルフ場が見え、この辺は俺が来るようなところじゃないなと思った。でもいつか、俺が望むどんな場所にも住めるくらいの経済力を身につけてやる、そう思いながら坂を下った。
ジョギングをしている中年のおじさんを走って追いかけていると大きな橋があった。橋の上からは大きな谷と東京とは思えないほどの緑が見えた。東京にこんなとこがあるんだ。新しい発見だった。そう思いながらおじさんを追いかけると大きな駅を見つけた。さっきからずっとトイレに行きたかったんだ。
駅は若葉台というところで、京王線と小田急線がつながる大きな駅だった。時刻は4時半、もう少し待てば始発の時間だ。ここから電車に乗って帰ろう。朝のホームには俺を除けばサラリーマンが一人だけで、大きな駅だけあって、その静けさはとても不自然なものに感じられた。
とてもさわやかな朝だった。回送の車両が車内の電気を消したまま行ったり来たりして、どこからかやってきたハトがものほしそうな顔で近くへやってきたりした。煙草を吸おうと思ってホームの端まで歩いてみたが、喫煙を許されそうな場所はどこにも見当たらなかった。始発電車がやってきたが、乗り込んだのは数えられるくらいの人数だった。普段は人込みでごったがえしている電車も、すごく快適だった。
先頭車両に乗り込んだのは俺だけだった。椅子に座って電車が出発するのを待った。電車がゆっくりと動き出し、若葉台の駅を後にした。俺は先頭車両の窓から進行方向の先に延びる線路を眺めていた。
ふらふらになりながらYの家まで歩いて、ずっと我慢していたサイダーをビールジョッキに注ぎ、二杯一気に飲みほした。風呂に入って汗を流し、ふと思い立ってラジオ体操をした。ラジオ体操なんて何年振りだろう。それから初夏の温かい朝に包まれ眠りについた。
その後2日ほど何もない日が続いた。夕方に起きて、10時ごろ夕食を食べて、朝方までハイボールをちびちびすすって昔話をする。Jを呼んで一度麻雀をした。なぜか久しぶりに会うと少し緊張する。この日の俺は好調でかなり勝っていたが、最後にYが国士無双をツモってJがハコって終了した。
Yの家でのバイト合宿を終えた俺は、Yと共に10日間の北海道ツーリングへ出発した。
おわり