【日記】2010年3月「Jという女②」

日記

どんな経緯で、そんなことになったのかもう覚えていない。俺はJに「受験が終わったら温泉に連れてってやる」とずっと言っていたから、きっとできる限りいろんなところに連れてってやりたかったのだろう。誕生日を忘れていたという申し訳なさと、第一志望に合格できなかった彼女を気遣ってのことかもしれない。

俺は植物をアパートまで運び、その足で東京へ向かった。京王稲田堤に車を止め、電車で新宿駅まで向かった。JRの西口で待ち合わせをした。喫煙所を探したがそんなものはどこにもなかった。いつであろうと新宿駅は込んでいる。駅にはスノーボードを担いだ学生らしい集団や、若いカップル、疲れ果てたビジネスマン、そんなくだらない連中であふれていた。

しばらくするとJがやってきて、俺たちは歩いて西新宿の居酒屋へ向かった。俺が居酒屋へ行ってビールが飲みたいと言ったのだ。いつだか忘れたがYと二人で都庁ビルの展望台まで行って夜景を見たことがあった。なんであんなところに居たのか、なんで男二人で夜景を見るためにわざわざ、全く覚えていない。

居酒屋にたどり着いた俺たちはとりあえずビールで乾杯した。居酒屋は仕事終わりのサラリーマンであふれていた。酔っ払った部下がわけのわからないことで泣き出し、酔っ払った上司がそれを見て本気で切れたりしていた。店員さんも大変だ。

俺たちは別に何を話すわけでもなくただただその場の空気に身を任せた。飲んだわけでも食ったわけでも、楽しかったわけでもつまらなかったわけでもない。俺はジョッキ一杯とショットグラス一杯でもう出来上がってしまった。店を出る頃には客は俺たちだけになっていた。都心の居酒屋は閉まるのが早い。

ぎりぎりの終電で稲田堤まで戻り、Jのアパートまで歩く。アパートは男性立ち入り禁止らしい、早く言えよ。何とか部屋に忍び込んだ。引っ越したばかりのやつの部屋にはまだ女の子独特の匂いというものが無かった。部屋そのものがJという人間を見事に表していた。それがどんなものかは言葉では表現できないが、とにかく俺はそう感じた。お泊りグッズを車に忘れてきたから取りに行ってくれとJに頼んで、俺は狭いベランダでタバコを吸った。確かマルボロだったと思う。ベランダからの景色なんてものは無かった。ただ正面に別のアパートの壁が見えるだけだ。電気の消された他人の部屋の中で寝そべって天井を見上げる。俺は今なにをしているんだ。

しばらくするとJが帰ってきた。やつは届いた小包から新しい腕時計を取り出し一人でニヤニヤしていた。受験が終わったら買おうと決めていたバーバリーの腕時計だそうだ。長すぎるベルトを解体する作業をしばらく試みたが、結局失敗に終わった。

俺が先に風呂に入った。風呂の中でのことなんて得に覚えてはいない。風呂から上がるとJは俺が持ってきた「羊をめぐる冒険」を読んでいた。俺もまだほとんど読んでいなかった。やつはベッドの横に寝袋と、宇宙服に使われてる何とかいう素材で作られた暖かいレジャーシートみたいなものを敷いて、俺の寝床を作った。誰かが隣に居ると緊張して眠れないらしい。俺だって別にこいつと同じベッドで眠りたくはなかった。その宇宙の何とかの上で寝そべって本を呼んでいた。鯨のペニスと耳の女だ。Jが風呂から上がったのか、風呂に入ってないのか、忘れた。ウサビッチの話をしたりしながら二人で横になってべらべら話していた。

明日の朝になってまたこそこそここから出て行かなければならないと考えると、すごく面倒だった。今から俺のうちに行こうという案が出て、それが採用されることになった。俺は数十分前に侵入したこの建物から息を殺して脱出した。

車に乗り込み、高速でS市へ向かう。インターで降りて、コンビニでタバコを吸う。うちに着いた。十二時間ほど前にはまだここに居たのだ。どうしてもっと早くうちで泊まろうと言い出さなかったのか、そうすればHのバーに行く事だってできた。おきてしまったことはおきてしまったのだ。俺はコンビニで買ったパーラメントをベランダで吸った。街はすでに朝を迎えようとしていた。

左手に見える高原と右手に見える送電線の集団、S市の街。11階建てのマンションと、新幹線の線路。遠くに見える山々。懐かしい風景のように思えた。Jも部屋の中でカーテンに包まってその景色を眺めていた。やつはコタツで、俺はロフトのベッドで寝た。

Jに起こされて目が覚めた。Jはシャワーを浴びて、それから温泉を調べた。M市のS温泉に行きたいそうだ。何時にここを出たのか覚えていない。高速でM市へ向かう道中、やつの幼少時代の話を聞かされたのを覚えている。どんな幼稚園で、どんな子がいて、どんな先生がいたとか。高校時代なんで部活をやめたのかとか、3時間もあればいろいろなことが話せる。

M市についてからいくつか温泉を回り、気に入った温泉に寄った。二人ともすごく腹が減っていて、近くのラーメン屋で夕食をとった。店の水槽には海老がいた。ニュースで政治の話をしていた。JにUT君の話を聞かされた。どれも退屈なものばかりだ。温泉の名前は忘れた。造りはよかったが温泉が少し消毒くさかった。小さい子供が何人かいた。俺がサウナに入っていると一人の男の子が扉を開け、どうぞどうぞといってずっと待っていた。約束の時間になったので外に出て一服することにした。月が綺麗な夜だった。黒いマントを着た長髪の欧米人が風呂から出てきて、自転車に大きな荷物を積んでよろよろと帰っていった。Jが出てきたが、長電話を始めた。また親ともめてるみたいだ。すっかり湯冷めした。

車に乗って東京へ帰る。帰りの車内は静かだった。サービスエリアで休憩するまでお互いに一切口を開かなかった。ただ一切は過ぎていくのだ。そんな中で今俺たちが話し合うべきことは一体なんだと思う? 

デイビッド・ギルモアのギターの鳴き声が車内に悲しく響いた。俺はこの休みの間、Jと一緒に過ごした数日で感じたことや考えたことを思い返していた。俺にとってJはある種特別な存在だった。そんな女性と二人で夜のゲレンデで花火を見たり、夜景を見たり、星を眺めたりしているとどうしても男女ということを意識してしまう。これは困ったことだ。

目的の駅にはとっくに着いていたが、俺たちは人通りの少ない道に車を止めて、二人で長い間話しこんだ。男女の友情と恋愛について。お互いの理想の恋愛観について。コンビニに行ってのど飴を買った。この休みの間に二人の距離は以前に比べてとても縮まったように思えた。楽しかった。やつをおろして、俺は一人家路を急いだ。

おわり

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この記事を書いた人

平成生まれのアラウンド・サーティーです。30歳を迎えるにあたって何かを変えなければという焦りからブログをはじめました。このブログを通じてこれまでの経験や学びを整理し、自己理解を深めたいと思っています。お気軽にコメントいただけますと励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。

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