2017.10.4
社会人になって一年が経った。この社会人としての一年が長かったのか、短かったのか、あるいはしかるべき妥当な長さと妥当な短さを兼ね備えた一年だったのか、わからない。とにかく、社会人になって最初の一年は、最初の一年にふさわしい長さだったと言える。
この一年、「社会人として」という部分にだけフォーカスすば、感覚的には短かった一年のような気もする。社会人として以外のイベントも多かったからだ。
社会人になって数ヶ月、おそらく1ヶ月満たない頃に私が持った、サラリーマンについての印象。
サラリーマンは家畜だ。どんなに仕事ができる人でも、できない人でも、所詮経営者に報酬を決定される立場にある。
サラリーマンは楽だ。仕事は自ら探すまでもなく与えられ、成果に関わらず一定のサラリーを得られる。
だが家畜がその平穏さと引換に圧倒的に失っているものは何か。家畜は柵の向こうに広がる大きな世界を知らない。広大な大地を自由に駆ける喜びを知らない。
あるいは我々は皆すべからく資本主義社会というシステムの中の家畜なのかもしれない。
国家というシステムの中の家畜なのかもしれない。そこから脱する方法はあるのか?
脱することが本当に良いことなのか?脱しない方が本当は良いのかもしれない。
今はまだわからない。解らないことだらけだ。
しかし確かなことは、今の私はこの限りなく続くようにも思える資本主義社会のラットレースの輪の中から抜け出すことを望んでいる。
このレースの中に俺が感じられる面白さはない。そんな気がしてならない。
以上