2010年 誕生日
あと数時間もすれば、この夢のような十代が終わる。明日、××月××日は二十歳の誕生日だ。ティーンズスピリットは永遠に失われ、大学生というモラトリアムに自ら終止符を打たねばならない。そう自分で決めて、今まで生きてきた。これは自らに課した掟である。現在の時刻は調度3時35分、シンクロしている。良い兆候だ。残された十代は8時間25分。残された猶予期間、自分がまだ十代でいられるこの8時間を、俺はどう過ごそうか。昨日は計画通り1時に就寝、今日は8時に一度目が覚め、そのまま二度寝、10時に目覚まし時計が鳴ってそのまま三度寝。時計の針が12時を指し、町内に正午を伝えるメロディーが鳴り響いて、ゴム収集に来たデコトラのうるさいエキゾーストノートでベッドから起き上がることを決意した。朝食を食べ、リカバリを済ませたばかりのパソコンに必要なソフトをダウンロードする。さて、そこからが思い出せない、今日のことなのに、それが昨日や一昨日のことのように感じる。十代最後の一日から貴重な三時間が泡のように消えた。
とりあえずタバコを吸おう。ベランダに出て景色を眺める。どんよりとした活力のない雲が、自信なさげに雨を地上に注いでいた。こんな天気も嫌いじゃない。明日で二十歳。店で酒やタバコを買う時に断られることもなければ、警察に取り上げられたりもしない。なんだかさびしいものだ。もう誰も自分を注意してはくれない。自分は何もしていないのに、二十年という月日が経過すれば自動的に法から解放される。不思議な社会だ。今日はバーに行って十代最後の晩酌でもしようか。悪くない。一人でバーに行って本でも読んで、それからぐっすり寝たい気分だ。本は何にしよう。ノルウェイの森か、グレートギャツビーか。ノルウェイの森はタイムリーすぎるだろうか、店員さんからミーハー野郎と思われるんじゃないか。しかし、十代最後だからこそそんなミーハー小説でトレンディーに決めるというのも悪くないのでは。逆に、十代だからこそあえて人目を気にして背伸びしてみるというのもありだ。まあ、あとでゆっくりと決めよう。
俺が「ノルウェイの森」に惹かれる理由は何か。それは「僕」の抱えるニヒリスティックな思想にあると思う。俺は昔から、いつからかは知らないが、物事の始まりと同時にそれが終わることをひどく意識してしまう癖がある。始まりがあるものには終わりがあるものだ。それを必要以上に意識してしまって、物事にうまくなじめなかったり、夢中になって取り組めなかったりする。人間の脳にはそもそも、相関的二項対立関係という思考機能があるらしい。人間はある物事を考えるときに、無意識的にそれに対立している物事を意識してしまう機能が脳に備わっているというのだ。それを知ってから、あまりありがたくはないが自分の思想というものに正当性が生まれてしまった。一年ほど前、ある女性に「お前って何でも人ごとだよな」と言われたことがある。言われた時はショックだったが、それは無意識にそのことを自分で気にしていたからなのかもしれない。そのことについてこの一年、ことあるたびに考えを巡らせてきたが、何も変わらなかった。そもそもそんな「何でも他人事な自分」にあまり不満を持ってはいないのだ。それが自分にとっていかに悪しき要素か、そのスタンスを改善することで自分がいかにより良い方向へと前進できるのかということを理解できていないし、理解しようともしていない。まだその時が来ていないのだ。そんなニヒリスティックな生き方が、「僕」の抱える虚無感と共鳴してしまっているのだ。そして俺にとって大きな問題は、自分の抱えるニヒリズムを認めようとせず、一方で真理の客観的根拠というものを狂おしく求めているという事実だ。俺は根本的な矛盾を抱えて生きている、その狭間でもがき苦しんでいる自分の姿を客観的に想像すると、それは何とも滑稽で無様な姿だった。自分で作った落とし穴に、自分で落ちている。
俺がリスペクトする数少ない人間の一人であり、長い友人でもある人物Yは、その落とし穴に落ちずに済んだ。彼はニヒリストの仮面を被ることを自ら選択し、非情なまでの実用主義的思想を身に付けた。そうなれずにいる俺はまだまだ子供なのか。二十歳という人生の節目を迎えようとしている今、そんな無根拠で不合理で主観的な幻想から抜け出さなくてはならないのか。それが俺の考える「大人」であり、そのことを「つまらない」という言葉で表現していたのか。それを自分で認めるのが嫌で、大人になりたくなかったからこそ、俺は「二十歳」という一つの転換期に執拗に尋常ではないこだわりを持つのか。
結局この後、家でいつもと変わらない夕飯を取った。ごろごろしているとCから電話があった。これも何かの縁かもしれない。Cを誘ってバーに行くことにした。Cが前言っていた、女の学生が働いている「むぎんちょ」というバーで待ち合わせるとこにした。正確には「モルト蔵」というサントリーのお酒を中心に扱っている店なのだが、それをCに言わせるとなぜか「むぎんちょ」になってしまうらしい。俺は先に到着して、カウンターで焼酎を飲みながらCを待つことにした。店には座敷の席がいくつかあって、バーというより居酒屋という雰囲気だったし、BGMにはニーヨのアルバムが流れていた。ハイライトを吸いながら焼酎をちびちびすすり、Jにメールを返しているともう一人客が入ってきて、カウンターに座った。しばらくするとCが到着して、ビールを二つに枝豆を注文すると早速先日のデートの話をした。C的にもかなり手ごたえがあったらしく、とても幸せそうに彼女との時間を振り返っていた。隣の客が店員と小説の話を始めて、俺たちの話題も自然と小説の話へ流れた。この後は一人でアラガキへ行こうと思っていたが、Cも連れて行くことにした。二十歳まであと2時間。アラガキは水曜日の割に繁盛していて、俺たちが入るとそれでほぼ満席だった。俺はサカパを、Cはホットバタードラムを注文した。一度ハイライトに合わせてラムを頼んでみたかったからだ。しばらく二十歳についての話をCと二人でした。俺が二十歳という年齢に執拗にこだわる理由や、これまでどんな生き方をしてきて、これからどうやって生きていくのか。Cにあの事を話そうかどうか、ずっと迷っていた。
「実はさ、お前らみんなに秘密にしてることがあるんだ」
「ちょっとまって、わかったかも、こうやって話をしてくれているけど、俺は実は免色君に何も与えられていないってことじゃない?」
まったくCという人間はこんな時でも笑わせてくれるな。
「Hが帰って来たときには、俺はもうここにはいないんだよ」
お互いの表情が硬直した。口にしてはいけないことのように思えた。それを誰かに言ってしまったら、今の環境から離れるという事実により現実性がでてきてしまう。正直自分の中でもうまくまとまっていない問題だし、その先のことなんてとても想像できない。俺は本当に孤独な世界で、一人で生きていかなければいけない。できればそれを認めたくなった。でも、もうそんなことは言っていられない。無理にでも前に進もうとしなければ、俺は俺自身をどこへも導くことができないのだ。店員さんが誕生日のサービスにXYZというラムベースのカクテルを出してくれた。Cには前から飲んでみたかったピニャコラーダを注文させた。店にはサックスの「枯葉」が流れていた。まるで俺の十代最後の瞬間を示唆しているようだった。十代最後の言葉と、舞い落ちて消える十代の時間。今、こうしてみんなと毎日楽しくギターを弾いたり、飯を食いに行ったりしてるけど、そんな日常がずっと続くものだなんて思ってほしくない。俺は一人で勝負しに行くんだ。だからお前らも、自分としっかり向き合って頑張ってくれよ。そう伝えた。二十歳まで後15分。チェックは全部Cが済ませてくれた。次に会うときはお互い二十歳だ。そう言って別れた。12時には家にいたかったが、間に合いそうもない。鯉壺の橋の真ん中で、川の濁流に飲まれていく雨を眺めながら最後のタバコを吸った。時計が12時を指すと同時に腹の底から叫んだ。何度も叫んだ。できればそのまま声をあげて泣いてしまいたかったが、涙は出てこなかった。「二十歳か…」時計が12時を指す前も後も、そんな言葉しか頭に浮かんでこなかった。傘を畳んで橋を渡り、堤防に座りながらタバコを吸った。二十歳か…
家に帰って携帯をみるとCからメールがきていた。二十歳になった記念にとりあえず写真を撮って、トイレで吐いてから熱いシャワーを浴びてそのまま眠った。