【考察】村上春樹/図書館奇譚

学習

図書館奇譚を初めて読んだのはいつだろう?メールを整理していたら25歳のころに友人宛に送った図書館奇譚の読書感想を見付けた。せっかくなので掲載しておく。

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2016年6月 友人Oへ

数年ぶりに「カンガルー日和」の図書館奇譚を読み返してみた。最初に読んだ頃と比べて自分の中の印象や捉え方が大きく変わってるのがわかり、非常に楽しめた。図書館奇譚を最初に読んだ時、私にはこの物語が何を伝えたいのかさっぱりわからなかった。これを説明するのはかなり長くなりそうだが、挑戦してみよう。

村上春樹の小説について

まず村上春樹の小説の書き方について。村上春樹の小説は、初期と中期と後期ではっきり色分けできるくらい書き方が違う。簡単に言うと

初期は練って書く、

中期は堀りながら練って書く、

後期は掘って書く、

といったところだろうか。
練って書くと純文学としての色が濃くなるし、掘って書くと物語としての色が濃くなる…?いや、練って書くと硬くなって、掘って書くと柔らかくなる?
彼(村上春樹)自身、その練って書いた作品(初期作品)の出来に関してはあまり自信がないようだ。過去のインタビューでそんな趣旨の発言をしているし、英訳が長らく出されなかった理由もここにある。長編でいうと「風の歌」や「ピンボール」がそれに該当する。

あくまで私の主観だが、掘って練ったのが「ノルウェイ」で、掘ったのが「カフカ」というイメージだ。
村上春樹は「羊をめぐる冒険」で、掘って書くってことを覚えたのだと私は思う。本人の表現で言うと、「起きながら夢を見る」という感覚らしい。「深い井戸のなかに降りていって、そこから何が沸き上がってくるかをただ眺めて、それをただ書いてるだけ」そういった趣旨の説明をどこかで目にしたことがある。(ソースがなくて申し訳ない)

図書館奇譚は、完全に掘って書かれた物語だ。展開が夢みたいに不思議に流れて、純文学的に見たら必要か否か疑問な箇所も幾つかある。(当時の私に純文学的に物語を読むことのできる能力があったとは思えないが…)何より絵本になってる点からも、この話は掘って書かれた、物語としての色が全面に出たものだと思う。
そういう類いの物語に関して作者自身は「僕は自分の作品については表現者であって、分析者や考察者じゃないから、物語についての意味を聞かれても答えようがない」というスタンスをとっている。つまり物語に意味がほしかったら各々考えてくださいと、僕は掘って出てきたものを書いただけなので知りませんと。正に夜中に見た夢をそのまま形にしたみたいな、そういう感覚なのだろう。

一方「図書館奇譚」をはじめて読んだ頃の私はそういう考え方を知らなかったし、本の読み方というものも今に比べたら全然わかってなかった。そして今より幾分想像力の乏しい熱心な村上春樹信者だったから、「彼の書く文章には1文1文全てに今があるはずだ」と思っていた。全部の話を同一線上に並べて考察していたのだ。

カンガルー日和に収録されてる話はどれもバラエティーに富んでいる。例えば「駄目になった」とか「とんがり焼き」なんかは完全に練って書いている。特に「とんがり焼き」は露骨過ぎてすごく印象に残ってる。(日本の文壇を揶揄した作品だ)
「カンガルー」「4月」「チーズケーキ」なんかも練って書いている。でも練っているというより、浅い眠りで見た夢?とでもいうのだろうか、脳みそは起きていて、ストーリーを意識的に誘導してるとでもいうのか、完全にセンスで組み立てた話だ。私は村上春樹の書く、そういった夢うつつな心地よさの漂う作品がたまらなく好きだ。

でも「図書館奇譚」は完全に寝てる。深い眠りのなかで見た、ギリギリの脈略と物語としての体裁を保った夢。私からしたら「海辺のカフカ」もそう、というか正にフランツ・カフカ的な世界観。
そういう掘った話、つまり夢のような短編は、ストーリー自体はすごくシンプルだが、意味付けしようとするととても難しい。でもここで大事なのは、あくまで「意味付けしようとすると」ということだと思う。村上春樹は「意味なんて無くても、何となく読んだ後腹にたまればそれでええやん?」と、常々言っている(「村上さんのところ」で頻繁にこの手の話が出た)。私は村上主義者だから、本人にそこまで言われると、最早作者が作品の意味やメタファーに触れることなど野暮なんじゃないかと思うようになった。私は元々そんなに本を読む人間ではないので、そういう読み方を知ったのが本当にここ最近だった。小さい頃から本を読んでる人は、自分なりに意味を見いだせる本にはきちんと意味付けするし、そうでない本は深読みせずにストーリーをしっかり楽しむという分別がしっかりしてると感じる。

私は今回(2015年6月)改めて「図書館奇譚」を読んでみて、初めて純粋にストーリーを追えたのが楽しかった。そして思ったのは、小説ってやっぱり物語だから、物語としてどっぷり浸かって初めて見えてくる文学的価値や意味やメタファーがあるんじゃないか、ということだ。今までは意味を掴むためだけに肩肘張っていたが、それでは総体としての文学が掴めないのかもしれない。
これを書いた翌年に出版された「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」が正にこれを踏襲して書かれたスタイルの長編で、読書好きには「世界の終わり」が一番好きと言う人が多い。例によって私はいらんことまで考えてしまうので、「世界の終わり」を初めて読んだ時は話の流れにあまり集中できなかった。再読するのが楽しみな本ではある。

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図書館奇譚の感想・解説

肝心の結論だが、「図書館奇譚」も含めて村上文学が解らないと言う人達は、当然そこに意味を求めようとするから解らなくなるのだ。物語が「解らない」のは、物語そのものの構成や表現が難解だからではなく、物語としての世界と読者との関係性に隔たりがあるからだと私は思う。物語がどうであれ読者のなかに何かが生まれれば、それだけで充分意味のある物語だと思う。つまり意味付け云々を置いておいて、その世界の面白味が解らないのであれば(物語と読者との関係性に隔たりがあれば)、その物語は今読むべきものではなかったということだ。というのが今の私の基本的な読書スタイルなのだが、これじゃ読書感想にならないから、では私は「図書館奇譚」を読んで何を得たかと言うとだ…

「隔たりが云々」とか言ったけど、この短編は単純に話が分かりにくい。あれこいつ子供だったの??みたいな。時間軸も掴みにくい。
私の解釈で時間軸を整理すると、

①先週の火曜に母親が死んだ
②今深夜2時に図書館のことを思い出す
③図書館はしんとしていて永久運動がなんとか
④とにかく僕は図書館にいた

という流れが一番自然で、語り口調から見ても納得できると感じる。
とりあえず上の流れを前提に話を進めると、まず母親の死を受けての永久運動の話だ。そんなものは存在しないと。そこからの流れで、「時間だって永久運動ではない」「来週のない今週も先週のない今週も今週のない来週だってあるんだ」と言っている。たぶんここがキモだ。だから話の時間軸があえて分かりにくく設定してあるとも考えられる。何故なら永久運動なんて存在しないから。いやそもそもこの話には時間軸なんてものはないのかも知れない。
図書館での奇妙な体験は事実として存在したが、母親はけろっとしてるしむくどりも元気。ただひとつ確かなことは、靴を無くしたことだ。「二万五千円もする買ったばかりの革靴」「本当のことを言って信じてもらえないなんて、きっとすごく辛いだろうな」この辺になにかヒントがありそうな気がする。

人によってこの革靴の意味するところは全く違ったものになると思うが、私なりに解釈するとしたらそれは「親の理想を形にした物」だ。親から与えられた、親の理想を叶えるための、レールみたいな物だ。

→親は高い金払って子供を理想の大人にしようとする
→子供も最初はそんな待遇が心地よい
→そのうち邪魔になる
→惜しみつつ捨てる
→怒られる心配
→本当のことを言って信じてもらえないのは辛い

と整理することができそうだ。
私が似たような経験をしてきたからそう捉えてしまうのかもしれない。短絡的だけど論理的に間違った解釈ではないと思う。上の流れを正とすると、「闇」というのは思春期のモヤモヤした感情みたいなもので、羊男はそこから脱出する手助けをしてくれたもの?夢とか情熱とかに当たるものなのかもしれない。

村上春樹自身は羊男について、「僕の永遠のヒーロー」と発言しているから(村上さんのところ)、その解釈についてもたぶん問題ない。

思春期に得られる感情や経験や情報の膨大さを「図書館」というメタファーで表現した。そう考えると、めちゃくちゃ純文学だ。上でも触れたが、物語の世界にしっかり浸かった結果、このような解釈が生まれました。

ただそうなると最初の練るとか掘るとか言う話はなんだったんだって感じですね。深読みするとめちゃくちゃ練って書いてるように感じるから。でもそれは春樹自身のスタンスの話であって、考察する側の人間の話ではない(たぶん)。そういうことにしておきましょう。

以上

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この記事を書いた人

平成生まれのアラウンド・サーティーです。30歳を迎えるにあたって何かを変えなければという焦りからブログをはじめました。このブログを通じてこれまでの経験や学びを整理し、自己理解を深めたいと思っています。お気軽にコメントいただけますと励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。

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