導入
M様へ
大変ご無沙汰しております。こちらの夏も暑いけれど、東京に比べればずっと過ごしやすいです。でも今にして思えば、私は東京のあの蒸し暑い夏も好きでした。溶けてしまいそうに熱いアスファルトも、陽炎の向こうの高層ビルも、デパートや地下鉄の寒いくらいの冷房も。
冗談はさておき、Mちゃんお元気ですか。
俺は元気です。時々こうして手紙を書きたくなるのですが、字が汚くて書いてる途中で手首を切りたくなる衝動に駆られるといけないので、パソコンで作成します。初めに断っておきますが、この手紙はくそ長いです。めちゃくちゃ暇な時にでも読んでください。なんなら読まなくてもいいです(笑)。
引越
突然ですが俺は引っ越しました。もうMちゃんとの思い出の詰まったあの江戸川橋のアパートはすっからかんです。
退去立会日の前日、俺は寝袋とバイクに積むためのこじんまりとした荷物だけを残したアパートに戻りました。あれだけ物にあふれた我が家から、荷物がすっかりなくなっているのを見るとやっぱり寂しくなりました。俺はあのアパートが大嫌いだったけど、結局一番長く住み、一番成長できたのもあのアパートでした。
Jと別れ、Mちゃんと付き合いだしたものあの部屋での思い出です。Jとは一年もあのアパートで一緒に生活していたのに、Mちゃんとの嵐のように強烈な三カ月間を考えると、ほとんど思い出なんてないような気がします。
これは俺にとって良い教訓にもなっています。あそこに住み始めた頃の俺は、Jとの関係に慢心していて、相手が何を思ってるかとか、何を求めているだとか、多分ほとんど考えもしなかった。あの頃の俺は何一つ頑張っていなかった。周りに比べて何もできない自分に劣等感を感じ、ただ日々をやり過ごしているだけだった。そんな俺にJは愛想を尽かしたというわけだ。今ならそれがよくわかる。
自ら考え行動しようとしない童貞的な日々。あの頃は毎日自分のしたことを手帳に書き記していたけど、思い出なんてほとんどない。手足をロープで縛られて、何もない荒野を馬にひたすら引きずり回されているような毎日だった。まあそんな昔のことはどうでもいい。
嵐が通り過ぎて行った後のような空っぽの部屋の中で一人、ビールを飲みながら昔の思い出に浸っていると、Mちゃんから久しぶりに連絡が来ました。やっぱりこの部屋の思い出はMちゃんで終わるんだな、なんて思いながら電話を掛けましたが、Mちゃんは既に夢の中でした。
Mちゃんとの日々
なぜMちゃんと過ごした日々が俺にとってあんなに特別だったのか、あれからゆっくり考えました。
Mちゃんは俺に、本来であれば取り返しのつかない、二度と巡ってこないであろう経験を与えてくれました。十代の最も多感な時期を、全ての不確かな感情を自ら抑制して生きてきた俺にとって、Mちゃんと付き合っていた三か月間は正に憧れそのものだったのだと思います。
ものすごく理不尽で、苦しくて、それでもどうしようもなく惹かれてしまう。一緒にいるだけで全部忘れられるくらい楽しくて、別れ際にはやり場のない寂しさに襲われる。そんな淡く不確かな恋愛を俺はずっと求めていたんだと思います。
いつかMちゃんが酔っぱらって電話をかけてきた時は言えなかったけど、やっぱりあの時も俺はまだMちゃんのことが大好きでした。大好きだったけど、そんなMちゃんに早く前に進んでほしかったから、言葉にはしませんでした。あの時確かに俺には一応彼女がいました。でもそんな名ばかりの彼女って一体なんでしょうか。男女交際って一体なんでしょうか。
例えば地球の反対側にいて、ネットで知り合ったその日に付き合ってくれと告白して、その申し出が承諾されたら、それで付き合ってることになるんでしょうか。お互いにお互いのことなんて何も知らなくて、会ったことはもちろん顔も見たこともなくて、そこに恋愛感情すらなかったとして、それで本当に彼氏彼女の関係と言えるのでしょうか。
俺は思うのですが、男女交際というのはもっと事後的に、互いの共有した時間や思い出や、そこで生まれた感情によって総合的に判断されるべきものだと思うのです。付き合ってくれの一言で、何もかも綺麗に解決してしまうほど、人間関係は簡単なものではないと思うのです。例えば今日から親友になってくれと言って親友を作れないのと同じように。親友とは互いの深い理解と許容と暗黙の信頼関係によって築かれる関係だと思うのです。
彼女もそれと同じだと思うんです。もちろん、男女関係にそれほど多くを望まない人間にとっては、そんな姿勢や心構えは逆に鬱陶しいだけかもしれません。しかし、長期的に深く精神的な関係を築くためには、男女を問わず先に述べたような姿勢が最も重要だと俺は考えるのです。ここでひとつ、俺が十八の頃に学んだ教訓を老婆心ながら語らせていただきます。
人間関係は、伝えることと理解することを諦めたらそこで終わりです。
どちらか一方が欠けても駄目です。互いに伝え合い、理解し合おうという気持ちがあってこその人間関係なのです。この話の肝は、伝えるとはどういうことなのか、理解するとはどういうことなのかということです。
俺がJと付き合っている時一番大切にしていたのは、伝えようとする意思と、理解しようという意思でした。そしてお互いにそれが人間関係において如何に大切かを肝に銘じていました。しかし互いの未熟さ故に、伝えるとは何か、理解するとは何かを考えるまでには至らなかったのです。
とどのつまり、伝え方も理解の仕方も人によって違うのです。若かりし頃の俺は、画一的に自己のスタンスだけを追求して、独りよがりの人間関係に慢心していました。Jの時に比べれば、Mちゃんと付き合っていた時の方がうまくやれたと思っています。
育った環境も価値観も世代すら異なるMちゃんに、今までの女性と比べてダントツで取り扱いが難しいじゃじゃ馬のMちゃんに、どうすれば伝わるか、どうすれば理解してもらえるか、どうすれば本気で考えてくれるかを、結構真剣に考え取り組みました。そしてMちゃんという人となりを理解するために自分なりに努力しました。
その行いの全てが成功裏に終わったとは思いませんが、こうして今でも仲良くしてくれているところを見ると、あながち間違ってなかったのかなとは思います。Mちゃんを通して、今まで気づかなかった人間関係における大切なものをたくさん学ばせてもらいました。本当に感謝しています。
就活
ところで、俺がこの八月九月と何をしていたのかというと、頑張って就職活動をしていました。十二社面接に行って十二社内定をもらいました。これは驚異的数字です。もちろん大学院を卒業してからもう一年以上が経過しているので、書類選考ではだいぶ落とされました。三十社応募して、面接まで進めたのが十五社程度でした。
面接無敗伝説を作り上げ就活を終えた俺は、来月から大きな企業の本社で経理をすることになっています。お給料は多分Mちゃんのバイト代くらいだけど、そんなに長く続けるつもりはないので安心してください。次のキャリアでお姉ちゃんの倍稼ぐ予定です。
今回の就活ではMちゃんから学んだことを余すところなく発揮しました。だからこれだけ自信を持って臨むことができました。本当にありがとう。前にも伝えたと思うけど、去年のあの暴挙ともいえるキャンペーン期間がなかったら、俺は今頃腐ってたと思います。
新生活
ここはなかなか良いところです。2DKのアパートの五階からは何キロも先にある山が見えます。山が見えると落ち着きます。ベランダは卓球台が二面は敷けそうな広さです。ベランダからの夕日をMちゃんにも見せてあげたいです。実家ほどではないけど、東京に比べれば星もたくさん見えます。会社には車で通勤できるし、近くにはいいお風呂がたくさんあるし、人も少なく静かで、夜は鈴虫の声を聴きながら眠ることができます。
この環境でしばらく自分を充電したいと思っています。それと同時にケリを付けなければならないこともいくつかありますが、ここでならうまくやれそうです。
2DKのアパートに一人で住んでいるのか、と思うかもしれませんが、実は同居人がいます。たった今帰ってきました。T君と一緒に住んでいます。T君はS市のアコギサークルで一緒だった友達です。出身も高校もKRと同じです。彼は今大学院で言語学を研究しています。アコギサークルにはなかなかアカデミックな議論のできる人間がいないので、とても貴重な友人です。一日中本を読んで論文を書いています。つまり無害そのものです。だからこんな俺でも一緒に住むことができます。
話し相手がいてくれると楽しいです。ただの話し相手じゃなくて、話の解る話し相手ならなおさら。
旅
話が逸れました。なんで俺が就活と引っ越しを決意したか。別に聞きたくはないだろうけど、それなりの理由がありました。
五月の一次試験に落ちた俺は、そのまま専門学校を辞めました。専門学校の授業料は八月分まで支払ってあったので、三か月分の返却金を使って俺は旅に出ました。十六日間、総走行距離四千二百キロに及ぶ旅でした。初日の朝、甲州街道で東京を抜け出しました。八王子を過ぎたあたりで雨が降ってきて、コンビニでカッパを着ました。しばらく行くと車の数も徐々に減り、いくつもの山や川が見えてきました。ヘルメット越しに雨で湿った空気を吸い込むと、草木や土や水の香りが脳細胞全体に拡散しました。
俺はこの瞬間覚醒しました。集団的無意識からの離脱と自我の覚醒。まるで長い間、もういつからか思い出せないくらい長い時間、自分が眠っていたかのような感覚に襲われました。
「俺は今生まれて初めて、自分が本当にやりたかったことを自分で決めてやっている」
そう強く感じました。その時俺は就職と引っ越しを決意しました。そしてその後の旅の中で、たっぷりと時間をかけて自分自身を見つめなおしました。灼熱の日差しの中で、あるいは突然振り出した豪雨の中で。海に沈む夕日を見ながら、人っ子一人いない山奥のキャンプ場で星を眺めながら、自分の内から何かが沸き上がってくるのを辛抱強く待ちました。
俺がこの旅を通して自分の内から見出したもの。それは「物語とは何か?」という問いに対する答えです。
お陰様で、俺は今とても楽しく人生を生きています。本当は会ってこのことを伝えたかったんだけど、日々を一生懸命前向きに生きているMちゃんに水を差すようなことを言いたくなかったんです。直接伝えたところで、「別に?」みたいな顔をされたらそれはそれで寂しいし(笑)。
おわりに
旅やら就活やら引っ越しやら慌ただしい日々がここしばらく続きましたが、それもようやく落ち着きそうです。良かったら今度遊びに来てください。多分そのころには車が手に入っていると思うので、どこへでも連れて行ってあげます。
何時間走っても話すべきことが一つも見つからないドライブもある。もうそんなものは出来れば二度としたくないけど、まだしばらくは終わらせられそうにないですね。だからたまにはMちゃんやJみたいな話の解る女の子とドライブに行きたくなるのです。
家の近くに池があります。そこにはカメやコイが何匹もいて、橋を渡ると餌をねだって顔を出します。冬になって池に氷が張ったら、カメのヒトたちはどこに行くんだろう?なんてサリンジャー的な思いを巡らせたりもしています。
日々の生活に疲れて一息入れたくなったら、ここへ来て一緒にカメを見ましょう。
迷惑じゃなかったらまた手紙を書きます。
さようなら
免色 歩