13「中学校の昼休み」

虚構
スポンサーリンク

2011年2月「何かが変わる気がする」

大学二年のクリスマスイブには志帆のアパートへ遊びに行った。

編入試験に合格し、春からの新居探しをしなければならない僕は、年末に有馬記念に行くついでに東京でアパート探しをしようと考えていた。普段であればローリーに連絡するところだが、この年はちょうどクリスマスと有馬記念が日程的に隣り合っていた。パティシエ志望でケーキ屋でバイトをするローリーにとってクリスマスイブの来客は邪魔でしかない。加えてクリスマスイブにわざわざローリーの家になど泊まりたくはない。そう判断した僕は志帆に連絡してみた。

いきさつを説明すると志帆はまんざらでもないといった態度だったので、僕はその日に志帆のアパートへ向かうことにした。前日までセーイチの家でどんちゃん騒ぎをしていた僕は、夕方ごろ一度家へ帰り、シャワーを浴びて東京へ向かう準備をした。新幹線に乗って東京駅に着いた頃には時刻は九時をまわっていた。クリスマスイブに女の子の家に泊めてもらうのだから手ぶらではまずいだろうと思い、コンビニでサントリーのオールドを買っていった。

志帆のアパートに着くと誰にも見つからないようにこっそり侵入する。インターホンを押して部屋の中に入れてもらう。ここに来るのは春以来、志帆に会うのは夏以来だ。志帆はすごく嬉しそうに笑って僕を出迎えてくれた。いつのものかわからないやせ細った氷でオン・ザ・ロックを作り、二人で乾杯した。寒い夜だった。風呂に入って布団にもぐりこみ、お互いに背を向けて眠った。

この夜見た夢を今でもよく覚えている。きれいな草原の上で自分の身体がばらばらになる夢だった。あれはどういう意味だったんだろう?

次の日の朝、志帆は車の教習のため早くにアパートを出て行った。目が覚めてからしばらくの間、僕はベッドの中で知らない天井を眺め続けた。朝の冷たい空気が部屋を満たし、冬のか弱い太陽光がカーテンの隙間から部屋を照らしていた。すごく清々しい朝だった。僕の精神は信じられないくらいの安息と平安の中にあった。ベランダに出てタバコを吸った。空はきれいに澄み渡っていた。本当に幸せな朝だった。

僕は息を殺してアパートを抜け出し、登戸へ向かった。地図を頼りに小田急線沿いを西へと歩いた。僕がまだ小学生だったころ、年の離れた姉が高校卒業と同時に上京し、初めて暮らした街が新百合ヶ丘だった。小学生の僕にとって、新百合ヶ丘は都会を象徴する街に見えたし、事実新百合ヶ丘は美しく洗練された街だった。首都圏に越してくるなら、まずは新百合ヶ丘の近くで部屋を探したいというのが僕のかねてからの願いだった。

向ケ丘遊園を過ぎ、生田、読売ランド前、百合丘と、事前にリサーチした物件の外観を見て回りながら新百合ヶ丘を目指した。新百合ヶ丘に到着すると、かつて姉が済んだアパートの近くを散歩した。僕にとっての東京、僕にとっての憧れの街が、今も変わらず魅力的であることを確かめた。駅の近くでお昼を取ってから、またいくつか物件を見て、駅から唐木田行の電車に乗った。栗平駅を降りて十五分ほど歩いた場所に、最有力候補のアパートがあった。なぜここが本命か? 夜に星が見られそうな立地にあるからだ。そしてアパートの隣にはスーパー銭湯とコンビニがある。これ以上のロケーションはほかにないというほど、すべてがそろっている。唯一、通学時間を差し置いてはということだが。

僕は目当てのアパートの階段を勝手に登り、三階のベランダからの眺めを確認した。ベランダは細い道を挟んで川に面しており、その向こうは雑木林になっている。これなら都会の明るい空でも星を見ることができる。満足した僕は来た道を引き返し駅へ向かった。

駅に向かうまでの道、僕はこれまでにないほどの充実感を覚えた。大学受験を終え、S市でアパート探しをしていたころの僕には、そんな幸福感を感じることはできなかった。ただただ東京へ行けなかった悔しさと情けなさが思い出されるだけで、新生活に期待を持つことができず、不安の方が大きかった。

今は違う。僕は東京行の切符を勝ち取って、来年からここで生活するんだ。S市を去らなければならない寂しさはある。サークル仲間と別れなければならない辛さはある。より厳しい環境で勝負することへの不安もある。だが、新しい生活への期待と、ついに憧れを手に入れたという達成感と、僕は確実に前進できているという実感があった。

翌日ローリーとタックと合流し、ヴィクトワールピサの勇姿を見届けた僕は、帰りの新幹線の中で車窓を流れる街の明かりを見ながら、上京への複雑な思いを気の向くままに巡らせた。

2011年という聞き慣れない年がやってきた。その言葉の響きが耳に馴染むころ、僕は二年間暮らしたこの街を離れ、東京で新しい生活を始めているだろう。

大学の転入をきっかけに、僕は志帆と交際をはじめた。僕は志帆に「付き合ってくれ」と言ったことも言われたこともなかったけれど、お互いが合意のもとに交際をしていることは明白だった。馬鹿みたいに「付き合ってください」と言って交際を始めるような真似はしたくないと常々思っていた僕にとっては理想のスタートだった。

交際のきっかけになったのは、僕が東京へ引っ越す一カ月ほど前に、志帆をS市に呼び出したことだった。彼女も何度かこのアパートへ来たことがあったし、二人の思い出もないわけではないこの部屋に、最後に彼女を呼んでおこうと思ったのだ。

駅に着いた志帆を迎えに行き、僕たちはそのままアラガキへ向かった。志帆をS市に呼んだのは、このバーに志帆を連れて来たかったという思いもあった。店に入った僕たちはまずビールで乾杯した。開いて一時間ほどの店内には僕たちしかいなかった。

「ここがいつも言ってたバーね。雰囲気があってすごく素敵ね」と志帆が言った。

「カツミがここでバイトしてるんだよ。お酒を飲むには最高の空間だね」と僕は言った。

僕は引っ越し先の新居や、この大学で残されたイベントについて志帆に簡単に説明した。そしてまだサークルのメンバーに編入することを伝えられていないことも。

「まだ話してないの?」

「話すきっかけがないんだ」

「でも言わないわけにはいかないでしょう? あんまり突然じゃかわいそうよ」

「いつも何も考えずにつるんでる連中に急にまじめな話をするのって結構難しいんだよ」と僕は苦笑いした。

「俺が編入するって話をした時の奴らの反応が想像できるから余計に言い出しずらくてさ。俺自身がまだ別れを認めたくないってゆう思いもあるよ」

「そうゆうものかしら」と志帆は言った。

僕たちが入って一時間もすると、常連客が次第に増えてきて、店の中が賑わってきた。僕たちもそれにつられ、徐々に会話のボリュームが上がっていった。志帆はお酒が強く、僕よりも速いペースでグラスを空にした。僕はお酒がそれほど強くないので、バーで飲むのは五杯までと決めている。金銭的にもその方が財布にやさしい。五杯以上飲むと頭痛や吐き気の心配をする必要があるから嫌なのだ。お金を払っておいしく味わったお酒を惨めな思いでトイレに流すのはごめんだ。

時計の針は十二時を回っている。僕は五杯目のアメリカン・レモネードを飲み干すと、志帆にそろそろ帰ろうと促した。ところが志帆は首を横に振ってこう言った。

「もう一杯飲んで帰れば何かが変わる気がするの。アユムも付き合って」

僕は志帆の意図が読み取れず、こう聞き返した。

「何かが変わるって、いったい何が?」

「何がって、そんなこといちいち聞かないでよ。アユムも思ってるんでしょ? 私たち二人の関係についてよ」

僕はそれ以上の質問が野暮であることを察し、バーテンダーにウイスキーのオン・ザ・ロックをダブルで二杯注文した。志帆は僕よりも二杯は多く飲んでいる。これを飲み干したころにはきっと二人とも理性が利かなくなっているだろう。

ほとんど会話もなくウイスキーを飲み干した僕たちは、ふらふらになりながら店の階段を降り、タクシーで僕のアパートまで帰った。シャワーも浴びずにベッドに二人で倒れこみ、そのまま眠ってしまった。

朝目が覚めると僕らはほとんど裸で抱き合っていた。志帆の言ったとおりだ。あの最後の一杯がなければきっとこうはなっていなかった。僕たちはこの時ようやくお互いがお互いに恋愛感情を抱いているということを認識した。

引越を終え最後のサークル合宿に参加し、僕は晴れて上京を果たした。三月には東北で大きな地震があって、何万人もの人が亡くなった。連日ニュースで流れる津波の映像を、僕は志帆と二人で固唾を呑んで見ていた。

春休みのほとんどの時間を僕は志帆と過ごした。転入先の大学のキャンパスを二人で散策したり、あてもなく近所の住宅街を散歩したり、どこのスーパーが安くて品ぞろえが良いのかを調べたりした。

新しい大学での日々は充実していた。編入元の大学での単位をいくつか剥奪された僕は、一限から六限までほぼ毎日講義を入れた。毎朝八時半に起床し、川村かおりの「ZOO」を聴きながら自転車で大学へと向かった。朝の冷たい風と、流れていく世田谷の住宅街の風景がとにかく新鮮に感じた。六月からは公認会計士の予備校にも同時に通い、六限終わりに電車で四十分かけて水道橋まで向かった。九時半まで予備校の講義を受けた後、再び四十分かけて喜多見のアパートまで帰った。

S市で大学生をはじめたころとは何もかもが違っていた。僕は明確な理由をもって東京にやってきて、志帆という彼女がいた。新しい生活の中で友達を作らなければという焦りは全くなかったし、サークルに入ってキャンパスライフを楽しみたいという願望もなかった。S市で浪費した時間を取り戻すように、朝から晩まで講義を受け、机に向かい、参考書を読み、ノートをとった。そこには自分が目標に向かって確実に前進できているという確かな充実感があった。サークルにもゼミにも入らなかった僕は、知り合いと呼べる人間さえも誰一人いないキャンパスで気ままな大学生活を送っていた。

週末は志帆と過ごした。日がな一日二人でごろごろしたり、近所の公園を散歩したり、新しいバーを開拓したりしながら時を過ごした。多摩川の河川敷で夕焼けを見ながらビールを飲んで、角のタバコ屋の椅子に腰かけタバコを吸い、手をつないでアパートへ帰った。

夏には志帆をバイクのうしろに載せて二人でツーリングに出かけた。ツーリングの帰りには銭湯によって、家に帰るとビールを飲んで映画を見た。狭いキッチンの換気扇の下で、二人でタバコを吸いながら映画についての意見を交換し、どちらからともなくベッドへ誘い、時間をかけてセックスをした。

志帆とのセックスは幸せだった。僕たちはお互いへの愛情を体全身を使って表現し、訴え、そして受け止めた。セックスを通じて僕は自分の中の志帆への確かな愛情を確認することができたし、志帆の中の僕への確かな愛情を確認することができた。志帆とのセックスによって得られる幸福感が、他の誰かと行う単に欲求を解消するためのセックスでは得られないものであるということは明白だった。僕たちはそのようにして、言葉では言い表すことのできない互いの愛情を確認し合い、同時に互いへの愛情を深めていった。

秋にはローリーやタックと競馬に出かけた。ブエナビスタ、エイシンフラッシュ、オルフェーブル、役者もそろっていた。十月にはローリーが描いた小説を群像新人賞に送った。僕は締め切りの三日前からローリーの家に泊まり込み、二人で文章の校正を行った。郵送直前になって重大なミスを発見した僕たちは、深夜0時前の郵便局で封筒に消印をもらい、それからミスを修正して封筒の中身を差し替えるという荒業をやってのけた。もちろんローリーの書いた小説は箸にも棒にも掛からなかった。ただ原稿を郵送した後に郵便局の駐車場で吸ったタバコのうまさは忘れられない。それだけでもやった価値があったと思えるほどの美味さだった。

ローリーは調理師専門学校を卒業して、十一月の終りに名古屋へ引っ越していった。引っ越しの日、僕は二トントラックをレンタルしてローリーのアパートへ行った。二人で荷物を詰め込み、雨の降る東名高速をビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガール」を聴きながら名古屋へと向かった。東京での楽しみがひとつ減るな、と僕は思った。

年が明け、二十二回目の春がやってきて、僕は大学四年生になった。つい先日高校を卒業してS市にやってきたものと思っていたら、あっという間に三年経ってしまった。入学したころにサークルのOBが言っていた「四年なんてあっという間だよ」などというただ鬱陶しいだけの決まり文句が、身に染みて理解できる年齢になってしまった。

三年生までに充分な単位を取得していた僕は、四年生になってからほとんど大学へ行くことが無くなった。会計士の予備校に通って、大学院受験のための準備を一年間ゆっくり行えばよかった。掃いて捨てるほど時間があった僕は、経済的事情さえ許せば志帆を誘ってライブやフェスに出かけた。ブラック・サバス、ローリング・ストーンズ、ポール・マッカートニー。ヴァン・ヘイレン、ラリー・カールトン、クール・アンド・ザ・ギャング。アース・ウィンド・アンド・ファイア、デレク・トラックス、松本孝弘。幕張メッセ、さいたまスーパーアリーナ、東京ドーム、武道館、ブルーノート東京。僕たちは時間とお金を惜しみなくそこへつぎ込んだ。今見ておかなければ、いつ死なれるかわからない、そういう焦りもあった。

現に僕がこれまでライブで見たアーティストのうち四人は、誰も予期せぬ不運な死を遂げた。スリップ・ノットのポール・グレイ、スレイヤーのジェフ・ハイネマン、リンキン・パークのチェスター・ベニントン、そしてモーター・ヘッドのレミー・キルミスター。AC/DCを見る前にマルコム・ヤングが亡くなってしまったことは僕の人生最大の後悔でもある。

ライブを見た後、僕たちはほとんど口も利かずに近所の居酒屋へ行き、そこでビールと焼き鳥を頬張りながらその日のライブの感想を交換し合った。今日のエディーのギターは絶好調だったねとか、今日もラリーは楽しそうにギターを弾いたねとか、あのタイミングで「バッテリー」が来るとはねとか、僕たちは興奮してその日のライブを噛みしめ合った。特に体力を消耗するようなフェスやライブの帰りにはラーメン屋へ行った。オールスタンディグでもみくちゃにされ、モッシュ・ピットで走り回ったあとは、頭の天辺から足の爪先まで汗でびしょぬれになった。僕たちは汗で失った塩分を補うかのように味噌ラーメンのスープを飲み干し、酸素缶で酸素を補うかのようにタバコを吸った。風呂に入るとモッシュの中で知らないうちに負った傷が痛んだ。ニッパーで器用にリストバンドの結束部分を破壊し、歴戦の証として大切に保管した。

僕は幸せだった。東京という夢の街で、不安や重圧をほとんど感じることのない平穏な日々を送っていた。憧れのアーティストのライブへ行き、おなか一杯になるまでビールを飲みタバコを吸って、好きなだけ小説を読み映画を観て、かわいい彼女とセックスをして眠った。不満を覚えるようなことは何一つないはずだった。そう信じていた。

2012年7月「中学校の昼休み」

何の変哲もない、いつもの昼休みだった。僕は班の誰よりも給食を食べるのが遅くて、皆が食器を片付けだす中、一人ご飯をかき込んでいる。バスケ部の連中が痺れを切らして僕を迎えに来る。

「お前まだ飯食ってんのかよ。女子か!」とローリーが言う。

「まーたお前のせいでコート取られちまうよ。俺四組の奴らと混ざってゲームするなんて嫌だぜ」とタックがバスケットボールを腕の中で回しながら言う。

「俺先行ってるから早く来いよ。今日はギャラリーも呼んどいたからな」とユタカが言う。

「すまん。あと五秒で食い終わる」そう言って僕は口一臂に頬張ったご飯を牛乳で流し込む。もちろん五秒で食べ終わる量ではない。残りのご飯とスープをローリーとタックに処理してもらう。

「オッケー。歯磨きするから待ってて」

「んなもん後にしろ!」

他愛もない冗談を交わしながら食器を片付ける。突然、その声が僕の鼓膜を揺らす。頭で考えるよりも早く、鼓動が高鳴る。自分の顔が赤くなっていくのがわかる。彼女は教室の扉の前で、うちのクラスのバレー部の女子と何か話している。視線の隅で彼女をとらえてから、すぐに目を伏せる。動揺がローリーとタックに伝わらないように。

彼女の声には何か、僕の心を揺り動かす特殊な響きが感じられた。どんな騒がしい教室の中でも、僕は彼女の声だけをすくい取って聴くことができた。そして条件反射で顔が赤くなる。

「食器ぐらいすぐ片付けろや!」

「俺はきれい好きなんだよ」

本当は、穴が開くくらいよく見たい。でも恥ずかしくて彼女を直視できない。本当は笑顔で話しかけたい。でも何を話していいかがわからない。

そんなことをしている間に、気が付けばもう彼女はそこにはいない。教室の扉の向こうに残った彼女の残像を見ながら、また心の中でため息を吐く。

目が覚めると時計の針は既に十二時を回っている。僕はおぼろげな目で部屋の中を見回してみる。カーテンレールに掛けられた時計、壁には二本のレスポールがぶら下がっている。勉強机の上には予備校の教材が山のように積まれ、その傍らにはいつのものか分からないレシートの束が散乱している。PCはスリープモードのオレンジ色の光を鈍く灯していて、空気清浄機は昨晩から絶え間なく部屋の加湿に勤しんでいる。そして僕の隣には女がいる。僕の腕を愛おしそうに両手で抱いて、夜が明けてから六時間以上が経過しているという事実に全く気付くことなく、寝息を立てて眠っている。

僕は彼女の手を振りほどいてベッドから抜け出す。リビングとキッチンを隔てるドアを開け、換気扇の下で煙草を吸う。しばらくするとベッドからもそもそと起きだした志帆が僕の隣に座る。志帆は寝ぼけ眼で煙草をくわえる。

「奈保子の夢を見たよ」と煙を吐き出しながら僕は言う。

すると志帆が目を細め「エッチな夢じゃないでしょうね?」と僕を睨む。

「よくわかったね。すごくイヤらしい夢だった」

「そうゆうこと言うと私が悲しむって知ってるくせに」と彼女は恨めしそうに言う。

おわり

Next

Previous

記事の内容が気に入りましたらポチッとしていただけると励みになります。

ブログランキング・にほんブログ村へ

虚構
スポンサーリンク
シェアする
この記事を書いた人

平成生まれのアラウンド・サーティーです。30歳を迎えるにあたって何かを変えなければという焦りからブログをはじめました。このブログを通じてこれまでの経験や学びを整理し、自己理解を深めたいと思っています。お気軽にコメントいただけますと励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。

免色 歩をフォローする
明日、雨が止んだら、出かけよう
タイトルとURLをコピーしました