【短編】2011年4月「聞きなれない年がやってきた」

短編

2011年という聞き慣れない年がやってきた。その言葉の響きが耳に馴染むころ、僕は二年間暮らしたこの街を離れ、東京で新しい生活を始めているだろう。

地元での成人式を終え、S市のアパートに戻ってきたのが十二日の夜。スーツケースに押し込まれた荷物を一つずつ取り出し、本来それらがあるべき場所に一つずつ戻していく。

パソコンを起動し、見るかどうかも分からない正月のテレビ特番が録画されていることを何となく確認する。テレビのニュース番組を見ながら、母親が持たせてくれた簡単な夕食を済ませ、風呂を溜めている間にベランダに出て煙草を吸う。ベランダに置かれたデッキチェアに腰かけ煙草を吸いながら、成人式で撮った同級生との写真を携帯で眺める。

彼らとの久々の再開が思っていたものより退屈だったことに少々がっかりしながら、着ていた服を洗濯機に放り込み風呂に入る。

湯船につかり、残り少ないこの学部でのイベントを一つ一つ整理してみる。

三日後には大きなライブハウスで三つのサークルが合同で行うライブイベントがある。そのための個人的な曲練習もしなければいけないし、全体での曲合わせの時間も必要になる。一月の下旬には学年末テストがあり、二月に入れば引っ越しやらサークル合宿やら追い出しコンパでいろいろと忙しくなる。その前に、やらなければならないことが僕にはあった。

翌日、目が覚めたのは昼過ぎだった。あわててとび起き、適当な服に着替えバイクに飛び乗る。二週間ばかり放置しておいたバイクはやはり機嫌が悪く、なかなか目を覚ましてくれない。チョークを引いてセルを回し、強引に回転数を上げ、エンジンをたたき起した。

いつもの道をスピードメーターも見ずにすっ飛ばし、三時限の講義になんとかもぐりこんだ。課題はまだ出されてないみたいだ。

講義室のどこかにいるであろうSSにメールする。

「課題が出たら連絡してくれ」

講義名は「情報と社会」。講師は初老に近い教授で、パワーポイントを使いながら講義は進められる。講義の最後に簡単な課題が出され、受講する学生は携帯を使ってその課題を指定のメールアドレスに送信することで出席扱いとなる。本人が授業に出席していなくても、内通者が課題を伝え、出席を取ることが可能だ。そのことに遅ればせながら気付いた講師が不正を減らすため、講義中に急に課題を出すこともあった。そのためこちらも一応それに付き合ってあげなければならない。

喫煙所で一服しているとSSからメールが届く。

「インターネットにおける匿名性が問題になるケースと容認されるケースの具体的例を出来るだけ多く挙げよ。制限時間五分」

僕は瞬時に新規作成のメールを開き、それらしい例を二つ三つ書き上げ、指定のメールアドレスに送信する。これだけだ。

たとえその講義内容を一切知らなかったとしても、それなりの成績が取れてしまう。そういう大学だった。中には講義開始と同時に出席カードをもらって教室を抜け出し、一時間半喫煙所で煙草を吸いながら友人と意味のない会話をしてから、講義終了の混雑に紛れて出席カードを提出する、なんてゆう講義もあった。そしてそういう講義に限って成績はいつもSだった。

夕方のサークル会までまだ時間がある。一度家に必要なものを取りに帰り、図書館で時間をつぶす。新聞に一通り目を通してから、適当に目に付いた本を読んでみる。飽きたら喫煙所に行って煙草を吸い、また目に付いた本を適当に開いて読む。そんなことを繰り返している内に図書館の外は暗くなっていた。

部室に行くとKとOさんが二人でギターを弾いていた。

「よお」

「おー、歩ちゃんあけおめー。どうだった成人式は?」

「思ってたよりあっけなくてがっかりしたよ。同窓会も全然盛り上がらないし」

「俺らもそうだよ。女子はみんな化粧してて誰か分かんないしさ。俺の友達なんか性別代わってるやついたよ。どう見ても知らない女子がいて、おいあれ佐野じゃね?みたいな。はっはっは」

「あ!そうだ免色君!ちょっと頼みたいことがあったんだけど」とOさんが突拍子もなく僕に話しかける。

「何?」

「だいぶ先の話なんだけどさ、四月の新入生歓迎会にみんなでやりたい曲があるんだけど、ギターやってくんない?」

僕は少し考えるふりをしてから言葉を濁して返事をする。

「ん~、四月は厳しいなあ。来月の追いコンなら出来るけど?」

「えーダメか―。出来ればでいいから考えといてくれない?」

「了解です」

そして三人でアコースティックギターをサークル会が行われる教室に移動する。

僕の所属するアコースティックギターサークルには、週に二度、サークル会と呼ばれるものがあった。そこで近いうちに行われるコンサートや合宿なんかの行事の連絡が行われた。

低偏差値高校出身である僕には、AO入試か推薦入試くらいしか大学に入る術はなかった。僕は第一志望を含め六つの大学に落ちた後、最後に受けたこのS市の大学に合格した。実家に合格通知が送られてきた時、両親は泣いて喜んだが、当の本人は炬燵に潜ってテレビを付けたままパソコンの動画サイトを見ながらギターを弾いていた。そのようにして僕の長く苦しい大学受験という戦いは幕を閉じた。

初めて大学にやってきた時、僕は不安と期待に入り混じった今までにない心情に襲われた。中学高校と、入学時には既に数人の友人が周りにいた。東京だったらまだ近くに知り合いが居てもおかしくなかったが、S市に進学したいなんていう田舎者は一人もいなかった。

一週間ばかり誰とも会話をしない孤独な生活を送った。そして必修の英語の授業でKと出会い、一緒にサークルの見学に行った。それから一週間もたたないうちにサークル内で友人が増えていった。ゴールデンウイーク前の数日間には訳の分からないサークルの新歓コンパに立て続けに参加し、無理してビールを何杯も飲んだ。新入生は如何に多くの新歓コンパに参加したかをこぞって競い合っていた。くだらない色恋沙汰がサークル内で多発し、そのたびに我々は居酒屋で女の子の話をつまみにビールを飲んだ。取るに足らないつまらない問題が浮かび上がっては消え、そんな毎日に飽きもせずいちいち頭を悩ませていた。

僕にも色恋沙汰がないわけではなかった。しかしそれは大学とは関係のない話だった。大学の友人からは特にそのことについて触れられることはなかったし、自分から言い出すほどの話でもないので黙っていた。

僕には高校時代から仲良くしていた女の子がいた。高校二年の時に友人の紹介で知り合い、一緒に地元の花火大会に行ったり、誕生日には手紙を交換したりした。車の免許を取った高校卒業後の春休みには二人で何度かドライブに出かけた。

彼女の名前はUさん。地元から高速道路で一時間ばかりのM市の大学で食品栄養の勉強をしていた。

高校の時から彼女は非常にモテた。スポーツ万能で明るい性格だったが、彼女の明るい表情や言動の裏には、何かミステリアスなものを感じさせる。そういう類の美人だった。

しかし、実際に彼女という人間を知れば知るほど、そのミステリアスな魅力は徐々に薄らいでいった。そして同時に、彼女の底抜けな明るさと誠実さが、彼女の最大の魅力であることを知った。

お互いに表面上はあくまで友達という関係を貫いていた。しかし、お互いが親元を離れ一人暮らしを始めてからは、若さゆえの限界に達してしまうまでにそう時間はかからなかった。

大学に入学して最初のゴールデンウイークに、Uさんのアパートへ遊びに行くことになった。

そのことをMに話すと、
「お前そりゃ、もうどうにでもしてくださいって言ってるようなもんだぞ」とひょうひょうと言った。

僕はその言葉に少々混乱した。
「でも、俺たちは一応友達ってことになってるんだけど」

「はいはい分かったよ。じゃあ友達ってことでやっちまえばいいじゃん」とあきれたように言った。

僕はMの言葉に従うつもりは全くなかった。男女間の友情はデリケートなものだ。僕が今まで何度Uさんに精神的に助けられたかを考えれば、彼女に手を出してはいけないことぐらいは自分でもわかったし、僕は一貫してそのように、自分の中のルールに徹底して従事していた。

しかし、結果は違った。彼女のアパートは布団を二枚敷けるほど広くはなかった。僕たちは一つの布団で、三泊四日を過ごさなければならなかった。一泊目の夜は我慢した。でも一度リミッターを解除してしまえば、もう後には引けなかった。残りの二日間、僕たちはベッドの上でほとんどの時間を過ごすことになった。

連休が終わって、大学生活に慣れてきてからも、僕は何度も彼女のところに遊びに行った。僕たちはベッドの中でじゃれあって、月曜日の始発でS市に帰った。そんな風にして時間は流れた。

目が覚めると時計の針は既に十二時を回っている。僕はおぼろげな目で部屋の中を見回してみる。カーテンレールに掛けられた時計、壁には二本のレスポールがぶら下がっている。勉強机の上には専門学校の教材が山のように積まれ、その傍らにはいつのものか分からないレシートの束が散乱している。パソコンはスリープモードのオレンジ色の光を鈍く灯していて、空気清浄機は昨晩から絶え間なく部屋の加湿に勤しんでいる。そして僕の隣には女がいる。僕の腕を愛おしそうに両手で抱いて、夜が明けてから六時間以上が経過しているという事実に全く気付くことなく、寝息を立てて眠っている。

僕は彼女の手を振りほどいてベッドから抜け出す。リビングとキッチンを隔てるドアを開け、換気扇の下で煙草を吸う。しばらくするとベッドからもそもそと起きだしたJが僕の隣に座る。Jは寝ぼけ眼で煙草をくわえる。

「Uさんの夢を見たよ」と煙を吐き出しながら僕は言う。

するとJが目を細め
「エッチな夢じゃないでしょうね?」と僕を睨む。

「よくわかったね。すごくイヤらしい夢だった」

「そうゆうこと言うと私が悲しむって知ってるくせに」と彼女は恨めしそうに言う。

おわり

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この記事を書いた人

平成生まれのアラウンド・サーティーです。30歳を迎えるにあたって何かを変えなければという焦りからブログをはじめました。このブログを通じてこれまでの経験や学びを整理し、自己理解を深めたいと思っています。お気軽にコメントいただけますと励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。

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