2016.6
怒濤の1週間が過ぎた。勉強のストレスに苛まれ、思うように寝付くこともできず、体内時計は完全に崩壊した。何度となく頭を床に打ち付け、呻き声をあげた。このろくでもない生き方から解放してくれ!!そんな時頭をよぎるのははやりあいつの顔だった。
俺の脳は常時この縛られた状況からの逃げ道を探している。この生き方を執拗に拒んでいる。そして試験3日前、俺のアンテナがキャッチした信号は目の前の問題を吹き飛ばす内容だった。俺はそこに新しい世界と可能性を見いだした。こんな世界で俺は生きたい。提示されたビジョンは瞬く間に膨れ上がり、衝動は既に俺を突き動かしていた。
会計士の勉強は全く頭に入って来ない。ところが新世界へのアイディアだけは絶えることなく豊潤に沸き出す。1問をひたすら眺めながら、そんな魅力的な未来への可能性を夢想する。気付けば時間はすぎ、窓の外は明るくなっている。1問も進めないまま。俺はその時、脳みその蓋が完全に閉められる音を聞いた。理解の扉が閉ざされ鍵がかかり、シャッターが荒々しく下ろされるあの無機質な金属音を聞いた。俺にはもうこんな生き方はできない。限界が訪れたことを悟った。
こんな能率の悪い生き方は絶対に間違っている!!そう強く思った。そして金輪際、やりたくないことは絶対にやらないと心に誓った。かつての自分が望んだ自信を手に入れる為には、会計士として結果を出すよりも、自分がもっと素直に没頭できる分野で結果を出す方が早い、そう思った。
あの頃の目標は根本的には変わっていない。俺は自分の生きたいように生きられるための大きな自信と実績を身に付けたいのだ。俺が自分自身の20代に課した目標だ。これは絶対に実現させる。だがそのプロセスの設定が破綻していることなんて初めから気がついていた。俺には絶望的に適性がない。でもそれ以外の道が見つからなかった。それ以外で自分が大きな自信を得られる手段が思い付けなかったし、それ以外の道を選択することが怖かった。結局親父の思惑通りに動いた方が、あの頃の俺にとっては生きやすかった。明るい未来と充実した生活。そのぬるま湯に頭の先まで浸かって、とうとうこの年になってしまったのだ。25までに会計士になれなかったら諦める。かつての俺はそう言った。まさかそまでに合格していないなんて本気で思いもよらなかったし、そうすることで退路を絶って自分を縛った。だが読みが甘かった。まさかこんなに適性がないなんて…
試験当日まで残された3日間、俺はそんな葛藤のなかで激しく悶え苦しんだ。満身創痍で、それでもなんとか這いつくばって前に進んだ。これが最後だと何度も自分に言い聞かせた。睡眠不足と過剰なストレスで目は虚ろに、手足はしびれ、妙な幻聴まで聞こえだした。全身が限界を訴えていた。そのようにして最後の夜が明け、俺は試験会場となる母校へ向かった。
試験が終わり、俺は合格を確信した。絶対に受かった。これで落ちたらもう知らん。仮に合格できなかったとしても、それは神の意向だ!そう思った。その後Nさんとどーしようもなく退屈で生産性のない時間を共にし、品川の新幹線の改札で彼女を見送った後、Jと府中へ行った。運気の流れをつかんだ俺は1枠1番ディーマジェスティに10万突っ込んだ。その緊張と興奮に全身が震えた。そして勝った。俺たちは手を握って喜びを讃えあった。
東小金井まで歩いて帰った。Jとの会話は尽きることがなかった。あいつには話したいことが沢山あった。俺がどんな思いでこの1週間を乗りきったか、これからどんな風に生きていきたいかを伝えた。あいつもそれを理解してくれた。大きな公園のベンチでタバコを吸いながら、村上春樹と古谷実の話をした。日曜の夕方の公園では、カップルがバドミントンをしたり、老夫婦がお揃いのジャージでジョギングをしたりしていた。
あいつの家まで向かう途中、Cに彼女ができた話やら、相対性理論の新譜の話やら、義理の兄が中国に行く話なんかをしていた。とにかく会話の内容には事欠かなかった。話すことはいくらでもあった。
家を通りすぎてそのまま駅まで向かい、焼肉を食べた。Nさんに会ってきた話をした。小説のタイトルが「人間と同等の尊厳を持った、言葉をしゃべる犬」に変わりそうだという話をした。具体的に何に絶望したかを話した。人間は外身が同じだけで一人一人別の生き物であることに俺は気付いた。それは人間だけが言語を獲得できる生き物だからだ。言語による人格形成にはほとんど無限の組み合わせがあるからだ。彼女はきっと一生俺と分かり合うことはないと悟った。
あいつとの会話のなかで、俺自身の人格の核についても明らかとなった。Nさんを好きになったことが切っ掛けで、俺はこんな風に物事を考える人間になったのだ。
小学校低学年の頃、俺はよく親のベッドの中で眠った。夏に風呂から上がって両親の部屋へ入り、エアコンで心地よく冷やされた部屋の空気とひんやりしたシーツの感触を味わうのがたまらなく好きだった。母親は毎日寝る前に映画を見た。俺はテレビと反対側に置かれたガラス戸に反転して写る映画を、眠った振りをしながらこっそり見るのが好きだった。親が眠りにつくと、ベッドの中で薄暗い部屋の天井を眺めながら色々なことを考えた。人は死んだらどうなるんだろうとか、僕はなんで生まれたんだろうとか。自分が死ぬことを考えるとたまらなく怖かったし、何故を繰り返すことですべての疑問が神様にたどり着くことを知った。
そして数年後、Nさんに恋をした。俺はNさんの何が自分を惹き付けるのかを本気で考えた。好きな人のことを一日中考えるのが好きだった。そうして自分にとっての彼女を少しずつ理解していくのが何より楽しかった。その習慣は中学生になっても高校生になっても変わらなかった。俺にとっての彼女とは一体何なのか。その問いが俺を成長させ、そのようにして俺は人格形成されていった。彼女なくして今の俺は存在し得ない。
そんなNさんが、こんな空っぽな大人になっていることが俺は悲しかった。
Jにもそう話した。でも俺はNさんに決着を付けなければならない。憧憬を追いかけたのであれば、完全に掴むか、どこがで清算しなければならない。彼女を完全に捉えることなんて今の俺にはもうできない。会うたびに俺の中の彼女は劣化し、次第に腐敗していった。でもそれでいいのだ。俺の中で彼女が完全に死んでしまわなければ、俺の中の彼女を完全に殺してしまわなければ、俺は前に進めない。それでも過去の彼女は俺の中で暖かい思い出として残ってくれる、それでいいのだ。
そんな話をした後、携帯を見るとKRから連絡が来ていた。きっとあの子と何かあったのだろうと思い、会話を切り上げて渋谷へ向かった。眠れる森の美女というハプニングバーに入ると、店員が馴れた口調で店内の説明をした。酒をもらって店内を探すと、地下1階の隅にやつらを見つけた。M3とKRが二人で女の子と話している。女の子はスポーツブラにボーダーのショーツという格好で、ほどよいを若干通り越した肉付きをしていた。もう顔も思い出せない。彼女はミクちゃんといって、東京出身の22歳。お父さんを亡くし、今はいくつかの水商売を掛け持ちお金を貯めて、近いうちに専門学校へ入るそうだ。日曜の夜にここへ来てポールダンスの練習をしているのだという。彼女のぎこちない大人ぶった言動は、俺を妙にむず痒くさせた。きっとこの子はこうして死ぬまで背伸びをし続けて生きていくんだろうなと思った。等身大で物事を測れないまま、虚像の自分を演じ続けるのだろう。
KRがミクちゃんとよろしくおっぱじめたので、俺は大人しく一人でタバコを吸った。M3は次の獲物を求めて奥のテーブルへ行ってしまった。ビンゴ大会が始まり、ミクちゃんが行ってしまうと俺たちは取り残された。しばらくしても女の子が来そうな気配がなかったので、俺とKRは1階の喫煙所で終電を逃した女の子を待つことにした。しばらく話した後、地下へ戻り様子を見たが、特にこれといった変化はなかった。M3はテーブル席で半分裸の女の子とイチャイチャしていたので、先に帰ると合図してから振り返ると、KRは新しい酒をもって立っていた。まだ帰らないの?!仕方なく俺も水をもらってKRと二人でテーブルへついた。しばらく二人でとりとめのない話をしたが、その絵は完全に負け犬だった。そのうち上から女の子が二人降りてきて、することもないので二人で声をかけた。またとんでもない不細工を捕まえてしまった。女の一人は話しながら殺意が沸くレベルの見事なブスだった。片割れも決して美人とは言えない。なのに二人とも信じられないくらい上から目線だった。俺は話しはじめて5秒で帰りたくなりKRに合図を送ったが、その視線は無情にも彼の目をかすめた。
俺は必死で言葉を探し、なんとか会話を繋いだ。話をしているうちに、彼女たちの少し風変わりな性癖が明らかとなってきた。完全に不細工な方はマゾヒストらしく、もう一人のブスはサディストらしかった。俺は折角だからと思って彼女たちに様々な質問をし、彼女たちはそれに鼻を高くして自慢気に答えた。彼女たちの妙なプライドの高さはこの性癖の特殊性からくる物だということを理解した。自分達がマイノリティであることをステータスととらえている部類の人間だ。しかし一緒に来ているだけあってお互いの人間性はある程度理解しているようだった。Nさんよりはましかもしれない。
我慢も限界を越えた俺はKRに渾身の合図を送り、その場を後にした。M3は女をつれて個室に上がってしまっていた。小雨の降る深夜の渋谷を明治通りまで歩いてタクシーを拾った。30時間フル稼働した体はクタクタにくたびれていた。新宿でKRと別れ家へ着いた俺は、割れそうに痛む頭を抱えてシャワーを浴び、水を飲んで寝た。数日ぶりのとろけるような睡魔に身を委ねた。
それでも翌日は10時に目が覚めた。6時間も寝ていない。きっと学校へ行かなければならないというストレスだ。眠れそうにないのでそのままパソコンへ向かった。それでも何故か集中できない、きっと試験の結果を気にしているのだろう。こんな不安定な状態を1ヶ月も耐えられるのか?どうせどこかで結果を知るなら今自己採点しよう、そう思った。携帯で回答速報をダウンロードし、机へ向かう。鼓動が早くなる。昨日の今日で自分の書いたマークシートを部分的に覚えている。11から始まる1313の流れが回答速報には存在しなかった。俺は焦った。最初の10問を遠目に照らし合わせて見たが、少なくとも4問は落としている。それに最後の金商法も違う。「落ちた」一瞬頭に言葉がよぎった。俺はそのまま回答を見るのを止めた。現実を直視できなかった。あれほど手応えがあって、あれほど自信をもって選んだ回答がことごとく間違っている。全身から血の気が引いていくあの感覚を久しぶりに味わった。そんな自分をどこか楽しもうとするいつもの自分が少し顔を出したが、余裕はもうどこにもなかった。落ちた?あれで??今までの自分の行いがフラッシュバックする。確かに落ちてもしょうがない内容だった。特にこの1ヶ月。嫌になってすべてを投げ出した。でもそうするしか他になかった。あんな状態で勉強なんて続けられる訳がなかった。あのまま学校へ通って、それでも落ちることの方が俺には耐えられなかった。だからこの方法しかなかった。落ちた…?マジかよ…
しばらくそうして壁を眺めながら寝転がっていた。目の前が真っ暗になった。体に力が入らなかった。恐怖で心が震えた。あんなに解けたのに、自分が落ちたことさえ解らないレベルで闘ってたのか?込み上げてくるのは悔しさではなかった。ただこの先の恐怖、先の見えない将来への不安だった。それでもどこかで、必死に自分を慰める俺がいた。これで適性がないことは証明されたんだ、これ以上苦しまなくていいんだよ?本当の意味でやっと解放されたんじゃないのか?そんな心の声が、全身を蝕んでいた無力感を少しずつ解きほぐしていった。「とにかく、俺は今できることを一生懸命やるだけだ」そう言い聞かせた。
午後になると案の定学校からの電話があった。試験の結果を聞かれて俺はとっさに、80点くらいと言ってしまった。なぜそう言ったのか自分でもわからなかった、これがまた話を複雑にさせた。学校へ行ってからもつじつまを合わせるために小さな嘘を沢山つくことになった。でもいい、もうそれも終わりだ。
家へ帰って電話で改めてマークシートの番号を伝えた。あの野郎採点しやがった。でももうしらねぇ、勝手にしやがれ。少し迷ったが、やっぱり銭湯へ行くことにした。今の俺には時間が必要だ。考えるための時間が。サウナで汗を流すのが気持ちよかった。露天風呂でこれからの進路を考えた。これからどうやって生きていこう…いや、これからのことなんて考えなくていい、今何がしたいかを考えよう。
思えば今までの25年間、俺はずっとこの思考プロセスで生きてきた。常に目標があり、そのための過程があり、保険があった。それが今、完全に崩れた。全部だ。8年前にも同じことがあったな。俺は東京に行けなかった。あんなに行きたがってた東京に、行けなかった。恥を忍んでおめおめとあのド田舎へ渡った。しかし思いがけない出会いと収穫、成長がそこにはあった。あの経験に俺は心から感謝している。昔から相も変わらず、往々にして俺の夢や目標は張りぼてばかりだ。いや、過去の自分が抱えていた物に執着しすぎるんだ。執拗な執着は妥協を生む。これは俺が10代の頃に説いた言葉だ。信じられない。だがこれは妥協ではない。より真実へと近づくための教訓なのだ。執拗な執着は教訓を生むのだ。ではその教訓とは何か?
今の俺に必要なのは、自分が何をしたいか、どの様に生きたいかを明確にすることだ。誰に何と言われようとどう思われようとぶれない強い生き方を探すことだ。あの時と同じ結論であることに思わず笑みがこぼれる。だがそのための準備があの会津旅行だったんじゃないか。17歳の自分と違って、今の俺には死んでもやりたいことが山ほどある。ぶれない夢と目標を見つけた。目先の不安や他人の声なんてどうでもいい。俺にはとにかくやりたいことがある。これはとても幸せなことだ。それを実現させるために今から動き出せばいい。目的地さえあれば、これからどうするかは自ずと定まってくる。会計士はいつか取ればいい。ただ、まだ今はその時ではないというだけだ。
8月までの猶予を全力で楽しもう。
そして人生を本気で楽しもう。