2「中学1年生」

虚構
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2003年4月「中学生」

中学生になって、僕と奈保子は別々のクラスとなった。僕が五組で、彼女は七組だった。もともと一学年六クラスの予定だったクラス編成が、直前に転校生がやってきて七クラスに増えたからだ。

中学校に行っても奈保子と同じクラスでいられると信じていた僕は、入学式前に校門に張り出されたクラス割を見て愕然とした。何度見直しても自分のクラスに奈保子の名前はなかった。代りにあったのは川上奈緒美という見たことも聞いたこともない女子の名前だった。僕はいたずらに心をもてあそんだ元担任と、罪のない転校生を呪った。

僕はバスケ部に入り、彼女はバレー部に入った。奈保子は一時「バスケ部に入りたい」と言っていたが、結局小学生のころからやっていたバレーを続けることにしたようだった。少しがっかりしたが、同じ体育館での部活であることに僕は安心した。クラスが離れてしまった今、奈保子を少しでも近くに感じられることが嬉しかった。

僕の奈保子に対する気持ちは、以前に比べてより大きくなっているように感じた。

僕はに奈保子という彼女がいる。一カ月前に生まれて初めて彼女ができた僕は、事あるごとにその事実を思い出し、人知れず間抜けな笑みを浮かべた。初めのうちはそんな調子でただただ浮かれるだけだったが、日が経つにつれ彼氏という言葉の持つ責任の大きさがじわじわと僕の体を重くしていくのを感じた。彼氏といえば、彼女をクールにデートに誘って、おしゃれなレストランでご飯をおごって、素敵な夜景の見える高台へ連れて行き、メロメロになるような甘い言葉を投げかけるあれだ…。そんなのは無理だ。

ということで僕は奈保子の彼氏になったものの、彼女に何一つしてあげられないでいた。僕は焦っていた。彼氏として彼女にどんなことをしてあげればいいのか全くわからなかったからだ。

五月の連休に入り、僕が庭でバスケをしていると奈保子から電話があった。

「もしもし、今から私がなんて言うかわかる?」

「わからない。どうしたの?」

「あのさ、別れよ」

あまりに突然の出来事に、僕が言葉を失っていると「じゃ…」と言って電話が切れた。

僕には何が起こったのか良くわからなかった。とりあえず庭に戻ってバスケを続けた。夕飯を食べてお風呂に入り、歯を磨いてベッドに入ったとき、僕はようやく事の重大さに気がついた。「俺は振られたのか?」天井に向かってそう呟いだ僕は、顔にまくらを押し当てて叫んだ。そしてしばらくベッドの上でひとしきり暴れた後、半分泣きそうになりながらやりきれない虚しさにただ身を任せた。

疑問は際限なく湧き出した。一体なぜ? 何がいけなかった? どうして俺は何も言わなかったんだ? 俺はこれからどうやって生きていけばいいんだ?

僕には奈保子に伝えたいことが山ほどあったし、彼女に聞きたいことも山ほどあった。大好きな彼女の事をもっと、どこまでも深く知りたいという思いがあった。しかし電話は突然切れた。後には行き場を失った僕の思いだけが残った。行き場を失った思いは雪のように心に降り積もり、時間をかけて後悔という名の氷になった。それを溶かすことが出来るのは彼女しかいないんだと僕は思った。

僕は以前と変わらず彼女の事が好きだったし、本当は彼女もまだ僕の事が好きなんじゃないかと思っていた。ホワイトデーに始まった僕らの交際は、何の前触れもなく唐突に子供の日に終わることとなった。

中学生になり、僕は女の子から声をかけてもらう回数が増えた。奈保子と別れてから数日後にはクラスの女の子に遊びに誘われ、そこで知り合った別のクラスの子と仲良くなって手紙の交換を始めた。当時はスマホなんてなかったし、中学生で携帯電話を持っている子も圧倒的に少数だったので、誰かと内緒で連絡を取りたいときは手紙を書いて渡すしか手段はなかった。

手紙を交換する相手は徐々に増えて行った。休み時間にクラスの女の子から「三組のテニス部の知美ちゃんって知ってる? アユム君と手紙交換したいんだって」と言って手紙を渡されたり、他クラスの女の子たちに教室の入り口に呼び出されて「初めまして!」と言って手紙を渡されたり、授業中に後ろの席から手紙が回ってきたりした。そのすべてに僕は律義に返事を書いた。

僕は恐ろしく字が汚かったので、手紙を書くのはあまり得意ではなかった。手紙に書くことがなくて深夜まで小一時間悩んだこともあったが、そんな時間も当時は楽しかった。手紙の織り方にも様々なバリエーションがあり、僕はいつも彼女達の織る綺麗な手紙に感心した。

奈保子と同じクラスの杏理さんという女の子とも手紙の交換をするようになった。杏理さんは奈保子と仲が良かった。彼女は女子バスケ部で、毎日隣のコートで見ていた僕が奈保子の元カレだと知り、興味を持って手紙をくれたみたいだった。僕の奈保子に対する思いを杏理さんに伝えることで、間接的にそれが奈保子に届いてくれることを期待して、僕は彼女に手紙を書いた。

手紙を交換する相手から好きな異性を聞かれれば、僕は迷わず奈保子の名前を挙げた。手紙のやり取りで相手が僕に好意を抱いているということは分かったし、分かっていながらその気持ちを誘導するようなまねはしたくなかった。だったら初めから文通を断ればいいのだが、次々と芽生える好奇心を抑えられなかった。正直に伝えることが僕なりの優しさだった。

名前も知らない先輩から誘いを受けたこともあった。僕達バスケ部の一年は体力づくりのため階段を使うことがあった。階段の踊り場では吹奏楽部の先輩たちが音出しをしていて、そこで知り合った先輩だった。すれ違うたびにいつも声をかけてくれたが、名前は知らなかった。夏休みに突然電話が掛ってきて、聞き覚えのない名前に思考を巡らせながら電話を取り次ぐと、声で彼女だと分かった。二人で隣町のお祭りに行こうと誘われたが、家から遠すぎるということを理由に断った。

僕は成長していた。どうしたら女子にモテるかなんてもう考えなくなった。そしてただ奈保子の事だけを考えた。

入学してから数ヶ月間、休み時間になると僕はいつも自分の席で読書をしていた。同じクラスにはカオルやイチロウといった既に気心の知れた友達がいたため、別に慌ててクラスに馴染む必要もないかと思ったからだ。どんなに本の文章に意識を集中させていても、廊下から奈保子の声が聞こえると僕の動機は激しく暴れた。頬が赤くなるのが自分でもわかった。僕が読書をしていたのは、そんな風に取り乱した姿を彼女に見られたくなかったからかもしれない。

集会やイベント時には、いつも知らないうちに目が彼女を追っていた。大勢いる女子バレー部の中からでもいち早く彼女を見つけ出すことが出来た。彼女の笑顔を見るだけで、明るい笑い声を聴くだけで僕は幸せな気持ちになることができた。家の外にいるときは、いつもどこかに彼女の姿を探していた。いるはずないと分かっていながら、それを止めることはできなかった。学校では常に彼女の視線を意識した言動を心がけた。

十一月、僕は奈保子に二度目の告白をして、そして振られた。理由は、他に好きな人ができた、とのことだった。僕はただ彼女の事が好きだと伝えただけだった。付き合ってくれとも、返事をくれとも言ってない。それなのにわざわざ手紙で謝罪し、その理由まで打ち明けられたのが僕は不服だった。

それからしばらくして、奈保子と杏理さんがふたりで手紙を書いて五組まで渡しに来てくれたことがあった。彼女が僕の好意を受け入れられなかったのは、僕にはもっと相応しい人がいると思ったからだと書いてあった。全く身に覚えのない噂がたって、奈保子が友人の千里さんと一緒に僕の所へ真相を確かめに来たこともあった。きっかけは何であれ、奈保子と話す機会がほとんどなくなっていたこのころの僕にとって、彼女との会話は他の何にも代え難いほど幸せな時間だった。 

そんな風にして僕の中学一年生は終わった。

おわり

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この記事を書いた人

平成生まれのアラウンド・サーティーです。30歳を迎えるにあたって何かを変えなければという焦りからブログをはじめました。このブログを通じてこれまでの経験や学びを整理し、自己理解を深めたいと思っています。お気軽にコメントいただけますと励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。

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