【日記】2010年3月「Yさん」

日記
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2010年1月

2010年、永遠に来ることなんてないと思っていた年。俺は19歳で、S市にアパートを借りて一人暮らしをしていた時代だ。

去年の末に心に決めた決心、俺は必ず公認会計士になる。そのために始めた日商簿記一級の独学。一ヶ月間毎日勉強した。しかし三月に入って息詰まってしまった。本も沢山読んだ。川端康成の雪国、ヘミングウェイの老人と海、村上春樹の1973年のピンボール。今年に入ってすぐにライ麦畑のサリンジャーが死んだ。

2010年2月

2月、人生初の大学春休み、狂った生活習慣、バンクーバーオリンピック、退屈しのぎのタバコ、いかれたバイト、くだらない連中との飲み、Jの入試、サークル合宿、Uさんからの電話。

2010年3月

3月、Tさんと最後の麻雀をして、バイトが終わってから逃げるようにして部屋を出た。もうあの部屋にはいられなかった。3月に入ってからの数日間俺は病んでいた。実家に帰れば何か変わる気がした。あのまま自分のアパートに居続けたらおかしくなっていただろう。兄貴のスノボーウエアを着て、ウエストバッグにマルボロと携帯電話だけ入れてRS50で街を飛び出した。しばらくトラックの間を走り続け県境まで向かう。峠のアイスバーンで滑りシフトペダルが折れてしまった。故郷の町に入ったとたん寒くなる。雪も降り始め、死にそうになりながら何とか実家へたどり着いた。すぐに風呂に入ってから朝食を食べる。実家ではまだ屋内でも少し着込まなければいけないほどの寒さだったが、実家独特の空気はやはり暖かかった。

3月11日、Uさんとの約束の日。1時にM市に行くといっておいてやはり寝坊した。昼の12時に起床して、朝食のような昼食を食べ急いで支度をし、給油をしてからI市をでた。M市に着いたのは約束の時間から調度一時間後だった。まずUさんを迎えにいく。コインパーキングが満車だったためM市駅の西口で待ち合わせることにした。彼女は紺のパーカーにブルージーンズだったと思う。会うのはもう半年振りくらいだったが、とてもそんな月日を感じられなかった。あの頃は一ヶ月会えないだけでさびしかったのに。

彼女は相変わらずの様子だった。適当に会話を交わした後でM大学にYさんを迎えにいった。正直期待はしてなかった。Uさんの友達にまともな人間なんていない。写真を見たが高く見積もっても美人ではなかった。校舎の入り口に女の子の姿が見えた。顔はよく見えない、というより見たくなかった。後部座席に乗り込む。想像していたよりも背は高く、落ち着いた話し方だ。目的の料理店へ向かうまでに軽く自己紹介をする。失礼な話だが、Uさんの友達にしてはまともな会話ができることにまず驚いた。

食事を取っている間、彼女にいろいろと質問をした。彼女は軽音楽部でアイバニーズのベースを使っていて、最近の学生らしい音楽に興味を持っていた。近いうちにライブがあって、今日はその曲練習で大学にいたそうだ。食事が終わってから俺は近くのATMでオークションで購入したワーゲン、ゴルフのキャンセル料金を支払い、我々はカラオケへと向かった。道中、音楽や本の話をした。女の子と2対1でカラオケに行くのは初めてだった。俺はしばらく感じることのなかった女子二人とのカラオケの空気を感じながら何を歌えばいいのか少し困惑していた。

カラオケも終わり外へ出るとM市の街もすっかり暗くなっていた。Yさんを家まで送っていくときに、彼女が普通二輪の免許を持っているということを知り驚いた。まったくUさんという人は何かにつけて重要なことを話し忘れている、というより聞き方も話し方も知らないというべきか。今度一緒にツーリングに行こう、そういって彼女をおろし、Uさんのアパートへと向かった。俺はてっきり、UさんはそのままM市に残ると思っていたが、どうやら彼女は俺と一緒にI市に帰ろうと思っていたみたいだ。まったくこの子は・・・。

そうしてM市インターから高速に乗り、彼女とのたわいもない会話で暇をつぶしていると俺を睡魔が襲った。みどり湖のサービスエリアでタバコを吸い、オークションの連絡掲示板に振込みの連絡を入れる。Uさんは俺がタバコを吸うことに対してひどく反対した。俺の眠気を感じ取った彼女は、今日はやはりM市で一泊して、明日の朝帰ろうと提案した。俺たちは岡谷で夕食を済ませ、M市へ引き返した。彼女をアパートにおいて、俺は温泉に行った。いつもUさんと一緒に来ていた温泉だ。なんとなく懐かしい感じもする。

一時間ほど風呂に入りアパートへ戻ると、彼女は電話をしていた。電話の内容から相手は高校時代の部活のコーチだということがわかった。時計の針は12時を回っている。こんな時間に元教え子と平気で電話をしているような人間の考えなんて大体予想がつく。人生のほとんどの時間をスポーツに費やしてきた人間、いわゆる筋肉馬鹿は単細胞だという悪い偏見が俺の中にはある。彼女が電話をしている間に歯を磨き、寝支度を整えた。台所の棚には「私は恵まれている!」と手書きで書かれた紙が張ってあった。俺が教えた言葉だ。少し意味は違うが、いかにも彼女らしい張り紙だった。

懐かしい部屋の空気を身体いっぱいに吸い込む。一瞬にして俺はあの頃の自分を思い出す。彼女のアパートと2009年の香りだ。彼女は電話をしながら俺に一冊のアルバムを手渡す。そこには二人で撮った駿河湾の写真と、車に乗ったYとMの姿が映っていた。あいつらは俺の知らないうちにこの子とカラオケに行っていたようだ。彼女がようやく電話を切り、俺はベッドにもぐりこむ。なぜかすごく疲れている。久しぶりに車を運転したせいかもしれない。彼女もベッドに入り電気を消す。ベッドに横になって見る彼女の部屋はすごく懐かしい眺めだった。彼女は今月末に別のアパートに引っ越す。もうこの部屋に来ることは二度とないのだ。そう思うと余計に思い出がよみがえる。もうずっと昔のことのようだ。

俺は変わったのかもしれない。彼女をどこか遠くへ置き忘れてきてしまったみたいに感じた。疲れているのになかなか寝付けない。背を向けた彼女を後ろから抱きしめた。彼女の髪の匂いが思い出を一層鮮明によみがえらせる。

「これを本当に友情というのかい?」

戸惑ったように彼女は言った。たまには彼女に甘えたいときもある。確実に超えてはいけない一線というものがあるが、あの子は俺にとって、よく言えば気の置けない友達、悪く言えば都合のいい友達、いつまでもそんな存在であって欲しいと思った。それが良いことなのか悪いことなのか、わからない。そんなことは考えたくもなかった。

おわり

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この記事を書いた人

平成生まれのアラウンド・サーティーです。30歳を迎えるにあたって何かを変えなければという焦りからブログをはじめました。このブログを通じてこれまでの経験や学びを整理し、自己理解を深めたいと思っています。お気軽にコメントいただけますと励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。

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