3月14日、ホワイトデー。Jとスノボーへ行く約束をしていた日だ。11時にあいつを迎えにいくことになっている。約束の時間を少し過ぎて待ち合わせのコンビニに到着した。あいつはしばらくやって来そうになかったので、俺は3月の心地よい陽だまりの中で一服することにした。
空は綺麗に晴れていて雲ひとつなかった。どこかから日本人形店の宣伝放送が聞こえた。いったいどんな人がこの宣伝に耳を傾け、どんな人がこの宣伝を頼りに日本人形を買い求めに行くのか、俺には皆目見当もつかなかった。タバコを一本吸って、それでもJはやってこないので、車の中であいつがもってこいといった新聞を読むことにした。内容はもう覚えて得ない。
Jはそれから5分ほどしてやってきた。こいつに会うのも久しぶりだ。もういつ以来かも覚えていない。Jを車に乗せ新聞を渡した。せっかく一度帰って持ってきた新聞なのにどうやら違うものだったみたいだ。俺たちはMインターから高速に乗り、俺のミュージックプレイヤーのハードロックを聴きながら勢い良く走り出した。なんの話をしていたのかもう良く覚えてないが、話すことに夢中になって目的地のKインターを通り過ぎてしまった。
スキー場につくと思ったよりも客がいて、そのほとんどは小学生や中学生だった。コースの雪はこの天気でかなり解けてしまったらしく、何箇所かは土が露出していた。ボードと靴をレンタルして更衣室でウエアに着替え、Jがトイレに行っている間にリフトのチケットを買い、タバコを吸った。準備を整えリフトに乗り、ボードを足に固定する。ゲレンデの上からは晴れ渡った冬の空に包まれる街を一望することができた。下から見ると大したことのないコースも、上から見下ろすと思ったよりも傾斜があり足がすくんだ。初心者の俺はJに先に滑るように促したが、やつはビビッてなかなか立ち上がろうとしないので仕方なく先に滑った。恐怖で思ったように身体が動かない。最初何度か雪の軌跡にボードをとられ勢い良く転んだが、後ろを振り向くとやつも負けないくらい派手にこけていた。俺はすこしずつ感覚を取り戻し、楽しみ方を思い出た。
しばらく滑ってからコースの中腹で座って待っていたが、やつがなかなか降りてこない。後ろを見るとまださっき転んだ場所で座っている。手を振って降りてくるように促したが、立ち上がって滑ろうとするとすぐに転んで、それはそれは笑えないほど無様だった。俺はボードを持って歩いてやつのいるところまで上がっていった。何度もスノボーをしたことがあって、受験が終わったからスノボーに行きたいと自分で言い出したにもかかわらず、今更滑れないとか言い出した。なぜスノボー二回目の初心者が何年も前からやっているやつに滑り方を一から教えなきゃいけないんだ?と思いながら、さすがにここまできて滑れずに帰るのは気の毒なので滑り方を教えてやることにした。
先に俺が少し滑って、やつが後を転がりながら着いてくる。それを何度も何度も繰り返して、下までついたらまた上まで上がる。はじめのうちはリフトに乗りながらやつの両親の話や、アパート選びで起こったいざこざをいろいろと聞きいていたが、しばらくしたら話すこともなくなった。日が沈み、ゲレンデの人の数も減ってきた。
5時ごろになるとアナウンスが流れ、昼の営業の時間が終わった。雪を均す大きなキャタピラをつけた清掃車がゲレンデの上へ登っていった。俺たちは適当な会話をしながら飯を食った。二人ともとても疲れていた。もうこのまま帰ってもいいんじゃないかと思った。やつはテーブルに伏せて寝ていた。俺は食後のタバコを二本吸って戻ってくると、従業員たちがゲレンデにキャンドルで飾りつけをしていた。Jは外のデッキに寄りかかりそれを見ていた。いかにも何か聞いて欲しそうな顔で。
夜用のリフト券を買って、スノボーを再開した。俺たちのほかには、中学生くらいの輩しかいなかった。辺りがもうすっかり暗くなるとカップルたちが増えてきた。ナイターで滑るのは初めてだったのでごく楽しかった。夜の冷たい風が顔をさす。アナウンスが花火の時間を知らせる。俺たちはコースの一番上から、寝そべって花火を見た。特に話すことなんてなかったし、何かを話すような空気でもなかった。小さく質素な打ち上げ花火が、冬の夜空に咲いては散った。天気も良く、星も綺麗だった。ゲレンデの上から見下ろせる街の小さな明かりは、一日の終わりを告げていた。とてもロマンチックだ。俺の隣にはスキーウエアを着た19歳の女の子が座って夜空を見上げている。周りの客のほとんどはカップルだ。いったいこのシチュエーションはなんなんだ。
「花火綺麗だったね」そう言って下まで降りた。少し休憩しようといって食堂に入った。とても眠い。トイレに行ってタバコを吸う。やつはゲレンデに埋め込まれたキャンドルの装飾を眺めていた。
「温泉でもいくか」、と言ってそこでスノボーを終えて温泉へ向かった。前に一人できたことのある温泉だ。入場時間を過ぎていたが入れてくれた。一日遊んだ後の温泉は最高だった。誰かときていることを忘れた。閉店時間も近くなったので風呂から上がると、更衣室には誰もいなかった。店の入り口で椅子に座って待っていたが10分ほど待たされた。帰りの車の中ではほとんど会話はなかった。下道で帰った。コンビニで缶コーヒーとタバコを買った。俺はアイアンメイデンを聞きながら一人で歌っていた。本当に会話はなかった。やつを家に送り届けて、そうして一日は終わった。
☆
翌日、Yからメールが来て旅が延期になった。その時間を埋めるために越後湯沢にでも行くことにした。別に一人で行っても良かったが、温泉につれてってやると前からいってあったから、とりあえずJを誘ってみることにした。もちろんこれると思ってなかったからあえて誘ったわけだが。二つ返事でOKだった。
J「話し飛ぶけど、あたし結構昨日楽しかった、って朝起きたら思った」
「自分から行きたいとかいって誘ったくせにぜんぜん滑れなくて、おまけに途中で飽きたとか言い出した上につまんねぇとか言われたらむかつくけどな」
3月16日、午前中にI市を出た。Mインターから高速にのって、新潟へ向かう。到着予定は5時だ。高速を走る車の中での会話はほとんど覚えていない。覚えているのはやつのiPodでエアロスミスを聞いていたことくらいだ。Sサービスエリアで休憩、トイレで今日の朝買ったピアスをつけようと思ったがなかなかつけられない。Jに頼んでつけてもらった。タバコを吸って、引き返すんなら今だぞ、とやつに忠告する。それからしばらく高速を走って、ナビに従い一般道で新潟まで向かう。どこかの川沿いを走っているときに、なぜか車内の空気が変わった。どんな話の流れでそうなったのかわからないが、やつは怒りだした。俺がやつを誘った理由が気に食わなかったみたいだ。俺は温泉に連れてってやると前から言っていたからやつを誘った。その「誘ってやった」という言い方に問題があるみたいだ。このまま俺一人悪者になるのは気分が悪い。
「じゃあお前はなんで付いて来たんだよ。別に温泉行きたかったわけでもないだろ?ただ家に居たくなかっただけでどこかに連れてってくれる相手なら誰でも良かったんだろ?」
俺がそう言うとやつは黙った。これでもう同罪だ。
「俺も悪いしお前も悪い、これでチャラだろ、あーなんか気分悪いなぁ」
J「なんでお前が気分悪いんだよ」
「だって、こんな遠くまで良くわかんない人連れて着ちゃったよーって感じ」
やつはまた怒り出した。
J「なんかスッキリしない」
「じゃあ何がスッキリしないんだよ」
J「もおいい」
「俺がよくないんだよ、お前がスッキリしないと俺もスッキリしないんだよ。お互いスッキリするために今なんでお前がスッキリしてないのかを二人で考えて解消しよう」
J「なんかそういうのがむかつくんだよお前!」
こんな感じで新潟に入ったんだと思う。しばらく話していたら和解した。こういう討論があったほうが人との仲は深まる。それからの会話は楽しかった。UT君の気持ち悪い話を聞いたり、Yの話をしたり、Jの両親の話をしながら雨の峠を越え、湯沢に入った。道の脇にはものすごい量の雪が積もっている。さすが雪国だ。そのまま温泉へ行こうかとも思ったが、先に土樽駅に行った。
雨の駅はとてもひっそりとしていて誰一人居なかった。駅の前の道を進んでいくと下りの階段になっていたが、ほとんどが雪で埋め尽くされていた。少しだけ顔を出した階段の最上段に腰を下ろし、雨の降る雪国の山を眺めながらタバコを吸った。きっと川端康成もこの景色を見ていたことだろう。しかし、それがいったいなんだっていうんだ。
俺たちは清水トンネルへ向かった。トンネルは新旧の2本あった。積雪の上を通って線路の上まで出て写真を撮り、二人でトンネルを眺めた。「トンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」まさにそのトンネルだ。しばらく小説の世界に浸っていると雨が強くなってきた。車へ戻って温泉へ向かうことにした。
露天風呂がありそうだということからその温泉を選んだが、そこには露天風呂がなかった。浴場には浴槽がひとつしかなかった。それも結構な小ささだ。外には川が見えたが、景色はそれほど大したものではなかった。一時間後に出ようといったがそれでは一時間持つはずがない。俺は十五分ほどで湯船を上がり、外でタバコを吸っていた。大学生らしい三人組がやってきた。サークルの合宿か何かだろう。俺は車へ戻って今日の宿を探してみた。時間はもう6時を過ぎている。安い宿はどこも満室だった。あきらめてタバコを吸い、番台の前の椅子に座ってやつが出てくるのを待った。それからしばらく待って、やっとやつは出てきた。こいつと温泉に来るといつも待たされることになる。とりあえず、家に向かって道を引き返すことにした。
雪で覆いかぶされた山や空を低く覆い隠す雲が、スキー場のオレンジ色の明かりを反射し、夜になっても町全体が奇妙に明るかった。俺たちはお互いに親のことや昔の話や、これから始まる新学期について仲良く話しながら、誰も通ることのない峠道を走った。気が付くとさっきまでどんよりしていた空には雲ひとつなく、綺麗な星が見えた。俺は自分でも知らないうちに、このわけのわからない女に少しずつ心を開いていた。車内には二人の会話とドン・ヘンリーの暖かい歌声が響いた。高速に乗り、Oサービスエリアで食事をとることにした。食事を済ませてから外で一服した。そこからはC市の街を一望することができた。時間は何時だったか覚えていないが、長野の澄んだ空気に包まれた街の明かりが美しく輝いていた。Jを誘って一緒に見ようかと思ったが、わけのわからない空気になるのが面倒でやめた。それからジャズを聴きながらI市に帰った。途中エンプティーランプの点灯に気づき急いで高速を降りた。M市のガソリンスタンドはほとんどしまっていた。頼むから止まってくれるなと祈りながら高森のセルフで給油した。そのままJを家に送っていこうと思った。
J「ねぇ」
「なに?」
J「やっぱりいいや」
「なんだよ、気持ち悪いな」
J「いや、もう帰っちゃうのかなーって」
「じゃあどっか寄ってこうか」
どこかで聞いたことのある台詞だ。それはいいとして、俺もどこかでこのまま帰ってしまうのは寂しいような気がしていた。お互いに心の距離が縮まったということなのだろうか。俺はやつにIPODに入ったFAR BEYOUND THE SUNやG3のライブを見せながら一人で語っていた。昔言った丘の上で夜景でも見に行こうかと思ったが場所が思い出せず、結局川原で星を見ることにした。
I市の星は綺麗だ。あれが何座でこれが何座です、とかいって説明した。最近の若者の星座の知識の乏しさというのにはいつも驚かされる。オリオン座も知らない19歳がいていいものか。俺たちは旅のために車に乗せてあった薄いタオルケットに包まって3月の寒空の下二人で星を見続けた。
こいつだけじゃない、いわゆる美しい容姿を持つ女性と一緒に、こういった非日常的で幻想的な空気に包まれると、どうしても自分が男で、隣に居るのは女なんだということを考えてしまう。そして異性であることを思い出したとたんにそこに大きな壁のようなものが生まれ、やり場の無い虚しさや歯がゆさを感じる。ましてや相手は中学生時代の学年のアイドルだ。決して手の届くことの無い別世界の人間だった。今そうではないとしても、あの頃の彼女を見る目というのは俺の中に根強く残っている。おまけにそいつは俺のストーカーだったなんて聞かされて、こんな空気の中で正常な理性を保てるのか。しかし、俺も大人になった。そんな一時的な衝動や、過去の思い込みなんてものを動機に自分や相手を傷つけたりはしなくなった。そんな不確かな感情じゃもう俺の心を動かすことはできない。結局こんなものは俺の求めているものを何も訴えかけてはこないのだ。そこにあるのは空虚感や失望でしかない。性的欲望の奴隷となるには俺は年をとり過ぎてしまったみたいだ。改めて、俺はつまらない人間になったと思う。望んでそうなったのかもしれないし、つまらないというのは不適切な表現なのかもしれない。
いくつか流れ星を見た。俺に情熱を、何物にも負けない強靭な心を。そんな欲張りな願い事を何よりも実現させたい年頃だった。お互い寒さに耐えかね暖房の効いた車の中で横になった。東の空が明るくなり始め、冬の冷たい夜空が少しずつ溶けていった。お互い一睡もできないまま朝が来た。車内ではシンディ・ローパーのTIME AFTER TIMEが流れていた。
腹が減ったのでとりあえずどこかで何か食べたいということで車を動かした。農道から国道へ出るとき大きなトラクターと出会いがしらに衝突しそうになった。Jが叫んでくれなかったらほんとに大変なことになっていただろう。ファミレスはやっぱり開いてなかった。
おわり