【日記】2009年12月「今日まで、そして明日から…」

日記
2010/12/04 17:05

「人妻失格」、世の中にはたわけた題名のDVDがあるものです。11月の始めの頃でしょうか、私は週に、2度か3度、先輩のはからいで、ビデオ屋で、自給750円という破格の安さでアルバイトを始めました。レジに立ち、いらっしゃいませ、ありがとうございます、と感情のない挨拶を機械的に、中年男性相手にしています。毎日まいにち、何十もの乳首と乳首、陰毛と陰毛を照らし合わせ、何も考えずに、ひたすら棚に返したりもしています。最初は吐き気がしたものです。と、職場についてあまり良くないことを多くを語ると先輩方に叱られてしまうのでこのくらいにします。私はこのバイトが気に入っています。何より従業員の方が皆優しいのです。本当に。空いた時間はカウンターの小さな空間で、ムーンウォークの練習を、こっそりしています。初めて稼いだお給料で、私は髪を切りました。

11月、いろいろな波が私の周りに起こりました。そのことでK君やYさんに長文のメールを送ったりもしました。しかし、ふと気がついたのです。私にはまったく関係のないことだと。私は、まだ私という人間の中に人間らしい優しさが残っていたことや、他人に対する思いやりが残っていることに感動しました。チョコ山大先生のおっしゃる通り、他人に自分の思いを完全に伝えるなんてことは不可能なのです。村上大先生のおっしゃる通り、言葉という不完全な表現に自分の気持ちを委託したところで、他人に伝わるそれは不完全なものにならざるをえないのです。また、こうして、他人に自分の気持ちを伝えることをあきらめてしまった人間の発する言葉ならなおさらです。こうして私は見事に道化を演じ切ったのです。

バイクの調子も悪かったのです。通学中にチェーンが外れたり、ライトがつかなかったり、エンジンオイルが切れているのを知っていながら、何度も箱根の坂を登ったり下ったりしていたからでしょうか、クラッチワイヤーが切れてしまったり、ブレーキランプが着かなかったりと、散散でした。そのたびお金がなくなって、食べるのにも困ったりしていました。それでもあれに乗りたいと思うのだからおかしなものです。少し目の肥えた人たちが、私に話しかけてきたりもしました。どこへ行っても私のバイクは人気者です。

そうして12月になりました。バイト帰りにN市の山の手へ行き、1年ぶりのふたご座流星群を見ました。もう一週間もすれば、2010年という聞きなれない年がやってきます。定期演奏会もありました。私は、今回は出演せずに、受付で先輩たちと戯れていました。最近はなかなか部室でギターを弾くことができません。1弦が何度も切れたり、ピックを忘れたり、アンプがなかったりで、気がつけば演奏会も近くなり、部室で暇をつぶすことさえ難しくなりました。演奏会も終わり、やっとギターが弾けると思って部室へ行き、最近覚えた音づくりも万全というすんでのところで、用事を頼まれたりするのです。これはきっと何かが私に、今はギターを聞く時ではないということを伝えているのではないかと思うのです。今日やっと、1人でのびのびギターが弾けたかと思えば、何かしっくりこないのです。不思議なものです。

本も何冊か読みました。ヘッセやフィッツジェラルド、ノルウェイの森や秒速5センチメートルを読み返してみたり、中学の時図書館から拝借したザ・ビーチもやっと読み終えることができました。ノウハウ本も読んだりしました。C君に借りた人間失格も、桜花までちゃんと読みました。次に何を読もうかと考えていると、M2君がクリスマスプレゼントと言って、私に本をくれました。

20歳というのは大事な年です。あらゆる制限から解放されます。これで胸を張って酒を飲み、タバコを吸い、馬券を買うことができます。来年、20歳を迎える私は、年末に夜の海で1人物、思いにふけりました。この1年で多くのことを学びました。それと同時に多くのことを失いました。新しく学んだものが自分の中で占める比率と、失ったものが占める比率とでは、はたしてどちらが大きいのかしら、などと、のんきに考えたりもしましたが、ふと、私は大きな事実に気付いてしまったのです。私は今年の春から、ここで暮らし始めたわけなのですが、実は私を取り囲む環境などというものは、1年前と何も変わってはいないのです。それなのにどうして、私は、こんな生活を毎日送ることができるのか、どうしてそれに満足することができるのか、皆目わからなくなってしまったのです。どうやら、望んでいたものとは幾分かけ離れていた大学生活での小さな快楽が、積り積って、昔から抱えてきた不安や焦りを、悪い意味で麻痺させてしまったようでした。大学生を演じることが楽しくて、暴走していたようなのです。ぞっとしました。なんという1年を過ごしてしまったのでしょう。私はアパートへ帰り、1人、絶え間ない不安と自己嫌悪の襲来に耐えました。

翌日からでしょうか、私はひどく沈んだ気分になりました。大学の授業、聞こえてくる声、小さな嘘、見栄、侮辱、思い上がりや開き直り、些細なことを敏感に感受してしまうのです。すると、彼らの何気ない言動、思考、さらには服装や髪型、化粧や匂いに至るまで、全てのものに、嫌悪を抱くようになりました。汝は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣、古狸性、妖婆性を知れ!などと、さまざまの言葉が胸中に去来したのですが、私のほうも、彼らに謂れのない罪を着せたくはありませんから、ただひたすら沈黙することにしたのです。自分がこんな風になるのは慣れたことですし、もちろん、私も、そんな時どう対処すればいいたということを心得ていました。ただじっと、ことが済むのを待つのです。そうしてなるべく他人に気付かれないように、いつものように振舞うのです。しかし、それにも限界があります。私は、私の持つ軽薄なおもてづらでは隠しきれないほどの、多くの傷を追い過ぎたようです。

自分の意図とは裏腹に、体からにじみ出す陰鬱感。それを察した親切な人たちが、私を心配して優しい言葉をかけてくれたりもしました。ある日、私がピアノを弾いていると、K君がやってきて調子はどうかと、いつものおどけた調子で、私に話しかけてくるのです。私は始め、うん、ああ、などと適当に返事をしていましたが、ふとK君を見てみると、彼はひどい顔をしているのです。今にも涙をこぼしそうな、恐怖と緊張が困惑した、しけた顔をしているのです。私は悲しくなりました。友人にあんな顔をさせてしまう自分が情けなかったと思います。私はただ、1人にしてほしかったのです。

おわり

記事の内容が気に入りましたらポチッとしていただけると励みになります。

ブログランキング・にほんブログ村へ

日記
スポンサーリンク
シェアする
この記事を書いた人

平成生まれのアラウンド・サーティーです。30歳を迎えるにあたって何かを変えなければという焦りからブログをはじめました。このブログを通じてこれまでの経験や学びを整理し、自己理解を深めたいと思っています。お気軽にコメントいただけますと励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。

免色 歩をフォローする
明日、雨が止んだら、出かけよう
タイトルとURLをコピーしました