中国行きのスロウ・ボート
発行日 1983年5月18日
発行元 中央公論社
1.中国行きのスロウ・ボート
「もちろん例のソニー・ロリンズの演奏で有名な『オン・ナ・スロウ・ボート・トゥ・チャイナ』からタイトルを取った。僕はこの演奏と曲が大好きだからである。それ以外にはあまり意味はない。『中国行きのスロウ・ボート』という言葉からどんな小説が書けるのか、自分でもすごく興味があった」と村上は述べている。
『村上春樹全作品 1979~1989』第3巻、講談社、付録「自作を語る」。
ソニー・ロリンズ『オン・ナ・スロウ・ボート・トゥ・チャイナ』
2.貧乏な叔母さんの話
3.ニューヨーク炭鉱の悲劇
担当の編集者は当時この作品を掲載することを渋った。『ビージーズはおしゃれじゃない』というのがその理由であったと記憶している。まあそれはそうかもしれないけれど、そんなこと言われても僕としてはとても困った。僕はこの曲の歌詞にひかれて、とにかく『ニューヨーク炭鉱の悲劇』という題の小説を書いてみたかったのである。
『村上春樹全作品 1979~1989』第3巻、講談社、付録「自作を語る」。
ビージーズ『ニューヨーク炭鉱の悲劇』
酔っぱらって電話ボックスの中で寝たり、地下鉄の車内でさくらんぼを一袋食べたり、浅野四時にドアーズのLPを大音量で聞いたりすることもやめた。
ニューヨーク炭鉱の悲劇
ドアーズ
「ウォーレン・ビーティーがナイト・クラブのピアノ弾きをやった映画は観た?」
ニューヨーク炭鉱の悲劇
「いや、観てないな」
「エリザベス・テイラーがクラブの客でね、とても貧乏で惨めな役なの」
『この愛にすべてを』
「私、『蛍の光』って大好きよ。あなたは?」
中国行きのスロウ・ボート – ニューヨーク炭鉱の悲劇
「『峠の我が家』の方が良いな、かもしかやら野牛やらが出てきて」
彼女はもう一度にっこりと笑った。
『峠の我が家』
4.カンガルー通信
5.午後の最後の芝生
ジム・モリソンが「ライト・マイ・ファイア」を唄ったり、ポール・マッカートニーが「ロング・アンド・ワインディング・ロード」を唄ったりしていた時代――少し前後するような気もするけれど、まあそんな時代だ――
午後の最後の庭
ドアーズ『ライト・マイ・ファイア』
ビートルズ『ロング・アンド・ワインディング・ロード』
車のラジオはこわれていたので、家から持ってきたトランジスタ・ラジオでロックンロールを聴きながら車を運転した。クリーデンスとかグランド・ファンクとか、そんな感じだ。
午後の最後の庭
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル
グランド・ファンク・レイルロード
スリー・ドッグ・ナイトの「ママ・トールド・ミー」が出てきたところでダイヤルを止め、仰向けに寝転んでサングラスを通して木の枝と、そのあいだから洩れてくる日の光を眺めた。
午後の最後の庭
スリー・ドッグ・ナイト『ママ・トールド・ミー』
6.土の中の彼女の小さな犬
舞台になったホテルは、愛知県の蒲郡クラシックホテル
蒲郡クラシックホテル
7.シドニーのグリーン・ストリート
この作品もタイトルから始まった。シドニー・グリーンストリートは言うまでもなく『マルタの鷹』に出てきた名優の名前である。僕は『マルタの鷹』を見たときからいつか『シドニーのグリーン・ストリート』という題の小説を書きたいと思っていたのだ。
『村上春樹全作品 1979〜1989』第3巻、付録「自作を語る」。
『マルタの鷹』
僕たちは中華料理を食べてからダウン・タウンの映画館でルキノ・ヴィスコンティの「ルードウィヒ」を観た。
シドニーのグリーン・ストリート
ルキノ・ヴィスコンティ「ルードウィヒ」
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